まちづくりの原点 無駄な行動なんてない
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 「ダムの勉強をしろ!」「まちづくりをやれ!」帰郷して言われ続けた言葉。いきなり、そう言われても…。村のことも、ダムのことも、何一つ分からないのにどうしたら良いのかと父や父と同年代の人たちに尋ねても「若い感性でやれば良いんだ」との返答ばかり。

 そこで、私より少し年上の先輩方に相談したところ、「形も決まっていない代替地のことをいきなりやっても駄目だから、今の川原湯を良くする活動をしたらどうだろう」と、アドバイスをもらい、地域の若手ボランティア集団「湯らっくす」を立ち上げました。

 40代以下の住民(職業は不問)を集めて、台風で倒れた巨木をウインチで引き上げてベンチを作って村中に設置したり、観光客中心の夏祭りを子どもが楽しめて主役になるようにおみこしを復活させ、応援する大うちわを作製したりしました。宵祭りの「スイカ割り」のスイカも畑を借りて自分たちで栽培しました。大みそかの神社で年越しや初詣の参拝者に甘酒とお餅を振る舞ったこともあります。

 一方、ダムやまちづくりについては、自営の若者たちで集まり、国・県・町の担当者や地元の役員を呼んで、さまざまな角度から新しい川原湯温泉を考えました。しかし、あまりに計画が大き過ぎることと、この集まりは、ダム対策委員会の下部組織でもないため、話し合ったことが形として表れないもどかしさで、徐々に参加者数が減り、最終的に3~4人しか集まりませんでした。悔しくて、情けなくて、皆で朝方まで泣きながら飲み明かすこともしばしばでした。

 そんなモヤモヤした時期を過ごす中、初期のメンバーが村の役員になって抜け、同年代の若手や後輩が帰省し始めました。「何も分からなくて良いから、自分たちの望む街の絵を、言葉を、提案していこう」と、「川原湯青年フォーラム」を立ち上げ、ダムと正面から向かい合い、まちづくりに取り組む腹を決めました。

 まず取り組んだのは、たくさんの会議や視察等が行われているにもかかわらず、住民は何も知らないことを問題とし、活動内容やダムの動きを不定期でしたが新聞にして村中に配布しました。時には、水没する5地区全戸にも配布しました。この活動が現在の代替地や各プロジェクトの原点になるとは誰一人思っていませんでした。「ダムの勉強をしろ!」から始まった“私たちのまちづくり”は、何も分からないまま走り始め、挫折を繰り返し、心が折れかけても歩みを止めず、今やれることをムキになって一生懸命先に進もうと…。諦めなかったのではなく、諦めたら生活できなくなるからです。無駄な行動なんて何一つないんです。若い頃分からなかったけれど、今は少し理解することができます。



川原湯温泉協会長 樋田省三 長野原町川原湯

 【略歴】老舗温泉旅館「やまきぼし旅館」社長。跡見学園女子大と長野原町による活性化策の川原湯温泉ブランド化プロジェクトの座長を務める。日本大経済学部卒。

2018/04/15掲載

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