福島第1原発の見学 忘れかけていませんか
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 福島第1原発はとてつもなく広かった。2月、日本科学技術ジャーナリスト会議が主催する見学会に参加した。廃炉作業が続く構内で見たこと、感じたことを報告したい。

 JR富岡駅で集合。参加者15人で東京電力のバスに乗り、出発した。大熊町の帰還困難区域を通過中、津波で壊れたままの店舗が並び、除染廃棄物を詰めた黒い袋が野積みされているのを目にした。原発まであと2キロ地点で撮影は禁止。代表者だけが写真、動画の撮影を許される。

 到着すると、ホールボディーカウンターの検査を受けた。見学後も測定し、放射性物質をどのくらい体内に取り込んだかを確認するためだ。

 思いのほか簡単な装備で驚いた。全身を覆うあの白い防護服は着なかった。一部の場所ではバスを降りて見学するが、上半身は防護ベストだけ、着ていたジャンパーの腕はむき出しだ。手袋、マスク、ゴーグル、ヘルメット。足元は靴下2枚履きに長靴。1人1個ずつ線量計を持ち、装備完了。

 構内の線量を下げる対策がとられ、一般的な作業服で仕事ができる区域が広がったと東電職員から説明を受けた。

 1日約5000人が働く。作業で使った手袋やマスク、防護服などは使い捨て。焼却、減量化し、低レベル放射性廃棄物専用の建物に保管されることにも驚いた。手袋だけでも左右で1万枚。膨大な量が毎日ごみとなる。汚染水をためるタンクも所狭しと立ち並び、増える一方だ。

 構内を巡り、緊急時対策本部、汚染水を除染する多核種除去設備などを見た後、高台でバスを降りた。1~4号機が目の前にそびえていた。

 3号機の原子炉建屋上部にカバーを取り付ける作業が進んでいた。使用済み核燃料を取り出す際、放射性物質が飛散するのを防ぐためだ。今夏、取り出しが始まるというが廃炉まで危険な作業が続く。

 再びバスに乗り、2、3号機の間を通ると、水素爆発で吹き飛んだ建物がそのまま残り、事故のすさまじさを見せつける。測定器はぐんぐん上がり、最大で毎時314マイクロシーベルトを示した。約4時間の見学だった。体が重い。言いようのない虚脱感に襲われた。

 見学後の積算線量は0.02ミリシーベルト。歯科のレントゲン2回分だから問題ないと、日常で受ける放射線の解説を聞く。それが科学的な事実だとしても、歯科と原発事故での放射線とを同列に語るのは違和感を覚える。

 構内で持ち歩いた取材ノートとペンは今も手元にある。もし私に小さな子どもがあれば家に持ち帰っただろうか。放射線に対して鈍感になっていないかと自問した。

 原発事故からわずか7年。今なお広島原爆の放射線によるとみられる症状で苦しむ血縁や友人をもつ私は、被ばくの実態はまだわからないと思う。放射能の恐ろしさを心に留め事故を風化させてはいけないと痛感した1日だった。



文筆家 杉原梨江子 前橋市日吉町

 【略歴】文筆家。広島の被爆樹を取材し、関係者の証言とともに紹介する本「被爆樹巡礼」を出版。2017年、前橋市に転居。広島県府中市出身。武蔵野女子大卒。

2018/05/20掲載

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