宝積寺史の編纂 生きた証し伝える史料
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 私が住職を勤める宝積寺は、鎌倉時代に天台宗として創建された。1450(宝徳2)年、国峰城主の小幡実高(さねたか)が中興開基となり、茨城県東昌寺開山、即庵宗覚(そくあんそうがく)を招いて曹洞宗として再興された。戦国時代前期より江戸時代前期にかけて末寺を多く開創し、現在46カ寺を数えることは、寺の特徴となっている。

 江戸時代には織田信長の孫、織田信良が小幡藩主となり菩提(ぼだい)寺と定める。また日本曹洞宗の開祖、道元禅師の示された『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』研究の地方拠点となり、万仭道坦(まんじんどうたん)を代表とする眼蔵家が数代にわたり住職に就任している。さらに番町皿屋敷源流伝説となった「菊女(きくじょ)伝説」をはじめとする昔ばなしの宝庫でもある。

 「寺の歴史を一冊の本にしてみませんか」。1996年、当時の護持会長、斎藤正豊氏の提案をきっかけに寺史編纂(へんさん)が始まった。甘楽町文化財調査委員の神道登先生と田村光彦先生、98年より明治大講師(後に淑徳大人文学部長)の宇佐美正利先生を執筆委員として作業が動きだす。

 まず宝積寺内の古文書・古記録を解読し、明治以前の文章を整理して資料目録を作った。次いで『延享度本末牒(えんきょうどほんまつちょう)』に登録されている末寺、本山・本寺・関係寺院、開基小幡氏史跡など約80カ所の訪問調査をした。各寺院では担当役寮・住職・役員より教示を仰ぐ。寺院・史跡訪問によって書籍で理解できなかった地域・寺院の歴史を肌で感じるとともに、宝積寺の歩んできた足跡も自然に分かる気がした。足掛け約5年の先生方の並々ならぬ努力により2001年に『宝積寺史』は発行された。

 1999年より10年間、宇佐美先生を中心に、友人教授や淑徳・駒沢大などの教え子が、宝積寺の古文書史料調査を実施。2011年に淑徳大の学会機関誌に『宝積寺史料目録』として掲載された。これにより15世紀~昭和40年代までの寺史料約1200点の史料名・年代・差出人・請取人などが判明する。

 16年には、寺史・史料目録の記述をもとに、門葉46カ寺に各寺宝の出品協力をいただき「宝積寺門葉46ケ寺寺宝展」の開催、続いて『図録』の発行を行う。本年は群馬県立歴史博物館の「織田信長と上野国」、姫路文学館の「怪談皿屋敷のナゾ-姫路の名物お菊さん」両企画展に史料を貸し出すことができた。過去に例のない展開で、寺の歴史調査に長年心血を注いで示していただいた先生方の研究の大きな成果である。

 私が住職として就任した30年前には、本堂の裏に古文書史料が山のように積まれていた。当時私はその史料価値をまったく認識していなかった。先生方と関わる中でどのような古文書でも、先人の歩いた証しであり、その家の歴史と考えるようになった。ご先祖の残した史料があればぜひ大切にされたい。



宝積寺住職 西有孝裕 甘楽町轟

 【略歴】曹洞宗の大本山、永平寺(福井県)で3年間修行後、1985年から現職。富岡甘楽地区の曹洞宗寺院でつくる第13教区の前教区長。駒沢大仏教学部卒。

2018/07/05掲載

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