群馬のカヌー 先駆者追い、強化続く
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 本県におけるカヌーの歴史は、日本カヌー協会発足(1938年)と同時に始まりました。先駆者たちを記すと、大正大カヌー部の群馬出身者が並びます。39年海軍記念日大会優勝の岡田立真。42年神宮大会3位の大田秀三。全日本選手権は48年旭井澄夫、51年橋爪和夫、55、58年並木実修、61年西林昇円が制し、55年茂木孝順は3位でした。61年スラローム世界選手権に大塚慶甫が出場しています。群馬県のみでなく日本カヌーの歴史を築き上げてきたといっても過言ではありません。

 69年長崎国体でカヌーが公開競技になりました。その前年に大田、橋爪、大塚で国体に参加すべく、県体育協会に申請、69年に正式加盟したのが群馬県カヌー協会の始まりです。申請時の役員は、会長三俣貞雄、理事長大田秀三、理事岡田立真、旭井澄夫、橋爪和夫、茂木孝順、並木実修、村上聖豊、須藤いま子、佐藤奉律、荒井光義、関勝利、広瀬修三、青島保、宮石輝雄、尾崎元吉、橋爪槇雄、橋爪修、飯塚勝久、大塚慶甫でした。

 国体後、県内高校にカヌー部をつくることになります。日本協会の西川芳神に指導を受け、理事須藤いま子の群女短附高に英断いただき、70年4月に部員募集、5月に正式部活を始めました。監督は教諭の飯塚勝久、コーチは東京オリンピック出場の東山日出夫、大塚慶甫でした。

 当初は鏑川、烏川と転々として練習に励みました。それでも部員たちは練習を続け頑張りました。70年ジュニア選手権で生方美枝子・川上きみ子組が3位、岩手国体で書上恵津子・塚田雅子組が2位、71年ジュニア選手権で天田光子が3位と活躍しました。

 73年。東京、メキシコ、ミュンヘンに出場した佐藤忠正を招聘(しょうへい)し、日立高崎にカヌー部を創立。工場長阿部享のご理解を得、部長長嶋正三郎、主務大田佳作、監督佐藤忠正、部員高柳美幸、川上きみ子で船出。後に諏訪正子、三輪準子、宮石美代子が加わり、75年全日本で全種目制覇し、世界選手権に出場、日本女子カヌー界をリードしました。

 76年。選手権覇者の本坊幸子を群女短附高に教諭として迎えます。ロサンゼルスの中里元子、ソウル・バルセロナの小林美幸の五輪選手を含め、多くの優秀選手を育成し、全国に群女ありと名をとどろかせました。

 58年。あかぎ国体が開催されるにあたり、強化策として優秀選手を招聘。神奈川より小池一守、愛知より原孔司、鹿児島より永尾澄夫を迎えました。招聘した彼ら、そして群馬出身の町田修、石坂志津子、芳沢佳子などの活躍により、天皇杯2位、皇后杯1位も、総合優勝には1点差でとどきませんでした。

 22028年、第83回群馬国民スポーツ大会が内々定しました。カヌー協会も国民スポーツ大会に向かって強化策を考えていきます。



県カヌー協会長 大塚慶甫 高崎市新町

 【略歴】大学でカヌーを始め、1969年フランス世界選手権に出場。県協会設立に携わり、県内高校の部活動で外部講師も務めた。宝勝寺住職。大正大卒。

2018/07/10掲載

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