井田淳一先生のこと その気にさせる「場」

 私が高校に入学したとき美術教師が赴任してきました。それが井田淳一先生でした。職員室が嫌いで美術準備室をアトリエにして絵を描き、生徒にコーヒーを振る舞った先生でした。そういうことで先生との思い出は授業より時間外にありました。交流は先生が亡くなるまで続きました。

 井田先生は渋川高、前橋高、高崎高で教えました。残念ながら若くしてその生涯を閉じましたが、先生の元から実に多くのアーティストが育っていきました。

 今回、かつての生徒が集まって井田先生の作品と共に展覧会を開きます。先生が3校に在任中の生徒で現在も活動を続ける28人が参加します。いわば、数十年後の大美術部展です。そこでは、井田先生が何を伝えたのか、教育とは何なのか等々、いろいろ考える機会になると思っています。

 後年、先生が「この学校にも才能のある生徒はいるが、親が許さない」と残念そうに語ったことがありました。家族の反対で好きな道に進めないのは残念です。しかし、より深刻なのはシステムとして芸術教育が閉ざされることです。大変憂慮しています。

 教育現場では英語、数学など「主要教科」と呼ばれる科目に対し、美術や音楽などは「周辺教科」と呼ばれているそうです。さらに今「周辺教科」が周辺どころか追い出される状況にあると聞きます。そもそも芸術は周辺に置かれるべきものでしょうか? 文化国家を標榜(ひょうぼう)する国で、想像する・創造することを育まずに文化を創れるのでしょうか? アートを学ぶ場を閉ざすことで、芸術や文化の貧しい国にしてしまうことになりませんか?

 美術教育を“絵を描かせること”と考えがちですが、これは大間違いです。ものをさまざまな視点から眺め、新しい価値を発見したり発想の楽しさを学ぶことこそ、その役割だと思います。それは一部の人のための科目ではありません。アートを楽しむ、美を生活の一部にする、アイデア、工夫、企画力、応用力、コミュニケーション力、行動力など幅広い能力は社会で最も必要とされ、豊かな人生を送る大切な資質です。美術教育とはこうした資質を育む「場」だと思います。

 私たちには当然その「場」はありました。そして私にとってもう一つの「場」が美術部でした。先生と先輩と同輩、後輩と共に学ぶ「場」でした。ここまで続けられたのは、自信を得たり励まされたりの場所があったからこそ。そこは私をその気にさせる「場」でありました。そんな懐かしい「場」が今回の展覧会です。私の楽しみは、それぞれの作品はもちろんですが、私の活動の原点に立ち戻り、先生や友人の存在と自分の人生を考えることです。

 (「井田淳一と生徒たち」展、7月28日~9月2日、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館)



美術家 金井訓志 前橋市緑が丘町

 【略歴】独立美術協会会員で、独立展や個展を中心に国内外で発表を続けている。2002年、文化庁新進芸術家海外研修員制度でイタリアに留学。渋川市赤城町出身。

2018/07/25掲載

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