鉱毒問題の今 足尾は終わっていない

 足尾銅山は1973(昭和48)年に採鉱を停止し、閉山した。閉山に伴い、鉱毒問題は収束したものと一般的には捉えられている。

 しかし今なお、鉱毒問題が尾を引いて被害に直面している実態があることは、あまり知られていない。したがって鉱毒事件は、まだ終わっていないという認識を持っている。

 そこで、三つの事例を示して理解を深めていただきたいと思っている。

 一つ目は、足尾銅山は閉山後、製錬所などが解体されたため昔の面影は残っていないが、足尾の山には今でも多量の廃鉱石などを野積みしている堆積場が残っていることだ。

 60年前の58(昭和33)年5月30日、足尾銅山の堆積場の一つで、渡良瀬川沿いに位置した源五郎沢堆積場が決壊した。この決壊で大量の鉱泥が渡良瀬川に流入し下流域の太田市毛里田地区を最激甚地として、農民たちは深刻な被害を受けた。五十余年を経た7年前にも同じ場所が決壊し、渡良瀬川を汚染させる問題が発生した。

 2011(平成23)年3月13日付の上毛新聞に、源五郎沢堆積場が東日本大震災の地震の影響とみられる地滑りで崩れ、渡良瀬川に有害物質が流入した記事が掲載されている。

 約2キロ下流で実施した水質検査では、国の基準値を2倍近く上回る鉛が検出された。

 二つ目は、堆積場や1200キロに及ぶ廃坑の坑道から有害物質である重金属類を含んだ水が流れ続けていることだ。黄銅鉱を採掘するために掘ったこの坑道を埋めることは現実的にできず、坑道からの水は今も流出が続いている。

 1897(明治30)年に政府から発令された鉱毒防止工事命令により、坑内廃水は石灰で中和させ、無害とすることが義務づけられた。そのために設けられた中才浄水場が今も稼働しており、今後も半永久的に稼働せざるを得ない状況にある。

 三つ目はさらに深刻だ。今でも鉱毒被害の爪痕が残り、影響が出ている稲作農地がある。旧渡良瀬川の流路を埋め立てて稲作農地となっている場所があるが、ここでは稲の生育が悪いという鉱毒被害が続いている。このような農地では田植えの後、中和剤を散布して農地の改良に努めざるを得ない状況だ。鉱毒に汚染された農地を元通りに再生させるには、非常に厳しく今後の見通しも困難であり、容易ではない。

 足尾銅山の鉱毒問題は、何世代も前の時代に起きたことなのに、現代社会においても、さまざまな面で引きずっている。まだ終わっていない。県民生活に密着した問題として多くの人に受け止めてほしい。



NPO法人足尾鉱毒事件田中正造記念館事務局長 島野薫 館林市上三林町

 【略歴】民間企業を定年退職した後、2007年にNPO法人足尾鉱毒事件田中正造記念館理事に就任。08年からはNPO法人足尾に緑を育てる会理事も務めている。

2018/08/15掲載

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