大学教育を考える(1) 「学生中心」への転換期
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 大学教員として在籍した35年間を通じて、片時も頭から離れなかったことは、「学生にとって大学とはなにか」ということでした。もちろん、大学そのものは、学生のためにだけあるのではなく、大学の使命が研究、教育、社会貢献にあるわけですから、先の視点は、厳密には「学生にとって、大学教育とはなにか」という問題提起になります。

 その結論を、私は「大学教育は、学生一人一人の成長のためにある」との理念のもとに学事日程、カリキュラムの再構築を一貫して提唱してきたのでした。日本の多くの大学では今なお、学事日程は学生に合わせるよりも大学側の都合に合わせ、カリキュラムも学問体系に即してそれを研究する教員に都合よく編成される傾向にあるからです。

 特に、カリキュラムについては、長年にわたって日本の大学では学問(ディシプリン)中心の体系で編成されてきているので、そこでは学生の存在は軽視、ないしは排除せざるを得ません。

 例えば、経済学部ですと、経済学という学問体系に基づくカリキュラムが作られ、教員も学生も何の疑問を持たずに、当然のように教員は経済学を教え、学生は経済学を学ぶという立場です。学生がなんのために経済学を学ぶのかの根本的動機付けを深める視点が弱く、また経済学を学生が成長していくための「手段」として学び取るという発想はほとんど見られません。

 その結果として、日本の大卒者は企業から「即戦力として使えない」との烙印(らくいん)を押されてきたのでした。

 このことは、のちに文部科学省によって「学生に何を教えるのかではなく、学生が何をできるようになるか」を大学教育の核心に据えるという提唱を強いられる要因の一つになっているわけです。

 大学側も、このことに気づき、2001年に静岡大が「就職概論」を、立教大が「仕事と人生」を、翌年には亜細亜大が「人生と進路選択」という正規科目を新設しました。いわゆるキャリア教育科目が教養科目、専門科目と並ぶ第3の教育科目群の位置付けでスタートしたのでした。このキャリア教育科目こそが、その後の日本の大学教育改革全般の要として重要な役割を担うことになります。

 キャリア教育とは学生一人一人の卒業後の進路選択に、直接に関係することなので、大学教育における学生個々人に対する多様な対応(教育プログラム)が不可欠になります。ところが、「学問中心の大学教育」では、学生個々人の事情はほとんど考慮されることはないので、学生は強い疎外感に襲われ、急速に授業内容に興味をなくしていくことになります。

 キャリア教育が、大学教育を「学問中心の教育」から「学生中心の教育」への転換を促す切り札になることがはっきりと分かってきました。



板垣与一記念館館長 宇佐見義尚 安中市松井田町人見

 【略歴】知的障害者施設「清涼園」職員、亜細亜大経済学部教員を経て現職。東京都武蔵野市社会教育委員の会議議長。ジジババ子ども食堂主宰。高崎経済大卒。

2018/11/28掲載

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