国内最大規模と古さ 邑楽に貴重な内陸砂丘
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 関東平野の北西、利根川左岸の大泉町仙石・古海から千代田町・邑楽町を通り館林市岡野まで約14キロに帯状に連続する国内最大の内陸砂丘があることを知っているだろうか。その中心は邑楽町になる。戦後間もなくから、今日に至るまで、内陸砂丘について学術調査が行われ、多くの報告が出ている。

 国道354号と県道足利行田線が交わる「狸塚(むじなつか)高原」交差点は文字通り、6座からなるマウンド状砂丘の集合体として高く積もり作られた地形に由来する。高原では近くの水田との比高は最大で9メートルあった。工業団地の造成などで丘陵性台地が切り取られると、砂丘は姿を現す。それらは関東ローム層に被覆されており、埋没河畔砂丘の別称がある。

 堆積した丘砂は邑楽台地を構成する「邑楽砂層」を供給源として、砂丘の断面は半メガネ状をしており、幅は100~200メートル。堆積の厚さは1~8メートルほどで、上部の灰色砂層とその下部の黄色砂層に色別できる。これらの砂粒は比較的均一で、全体の6~7割が粒径0.5~0.25ミリと細かい。

 こらの砂丘はどのようにできたか―。今から約5万年前、自由奔放に流れていたであろう古利根川や古渡良瀬川が上流から運んだ土砂は邑楽町付近一帯に堆積し、現在の地形の土台を作った。そして今と同じく、冬に空っ風が吹いていたことを想像してみよう。

 上流から次々と運ばれる土や砂粒―。風の影響を受けながら移動し、砂の層は高まり、砂山へと成長していく。ある時は同じ風によって削られたり、堆積と浸食を繰り返し、流路付近を中心に広い範囲に帯状に連続したり、列状になったり、あるいは点在した砂丘が形成されたと考えられる。

 砂丘の成長過程で榛名山、赤城山、浅間山などの噴火活動が盛んになり、舞い上がった大量の火山灰は砂丘をすっぽりと覆う形で積もった。これら関東ローム層の厚さは邑楽町付近一帯は1~4メートルと変化に富んでいる。

 町内で確認された砂丘は、十軒、中山、高原、子々五(ねねご)、江原、店(たな)、宮内、鶉岡、石打などにあった。邑楽工業団地、鞍掛工業団地の造成に伴い、姿を消してしまったものもある。残っている砂丘も長らく空気に触れると、表面の砂は凝固してしまう。路頭や切り通しが崩壊したり、雑草が繁茂するなどして観察できる箇所が非常に限られるのも残念だ。

 世界の乾燥地帯には、大規模な内陸砂丘が存在する。だが島国の日本では非常に珍しい。国内では北海道の十勝平野などで砂丘の存在は確認されているが、邑楽町周辺に広がる砂丘は規模といい、形成された時期が最も古いという点を取っても、非常に貴重な存在だ。専門家に高く評価されているこの内陸砂丘が保存、活用されることを心から願っている。



邑楽町文化財保護調査委員 大塚孝士 邑楽町中野

 【略歴】邑楽町社会教育課長、長柄公民館長などを歴任。水田3ヘクタールを耕作する農業従事者。趣味は山登り、サイクリング。館林高―専修大文学部人文学科卒。

2018/12/07掲載

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