プラモデル『戦艦大和』制作で知った、「モノづくり大国の系譜」と「学ぶべき戦争の歴史」
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 旧日本海軍の象徴だった「戦艦大和」。“世界一”と謳われながら、その実力を発揮することなく終わった非業の戦艦は、ドラマ性と威容が相まって今なお絶大な人気を誇っている。そんな大和への憧れからプラモ人生が始まったモデラー・芦田秀之氏に、スケールモデル制作を通じて知った“歴史を学ぶことの重要性”について聞いた。

【写真】まるで映画の1シーン、幻の「戦艦大和」艦載機格納庫を再現

■プラモデルを通じて学んだ“戦争体験”

 小学生の頃、父親の友人が経営している模型店に行き、ショーウィンドに飾られていた自分の背丈ほどある日本模型(ニチモ)の1/200スケール「戦艦大和」との出会いがプラモの魅力に目覚めたキッカケだったという芦田氏。

 「初めて親父に買ってもらったプラモデルは、1/700スケールウォーターラインシリーズの戦艦大和』でした。元々絵を描いたり工作をする事が大好きだったので、プラモデルの魅力に目覚めるのは自然な流れだったと思います。その後は、学校が終わると友人と模型店に立ち寄り、でっかい戦艦大和を見ては『いつか作りたい』と妄想していました(笑)」

 当時、プラモが飾られている模型店や駄菓子屋は宝箱だったと語る芦田氏。「お店に行く度にプラモデルの作り方や色の塗り方などを教えてくれて、プラモデルの魅力に目覚めさせてくれた」と当時の思い出を振り返った。そんな“プラモ原体験”以外にも、プラモ制作には特別な思いがあるのだそう。

 「私の住む隣町、兵庫県加西市に終戦間際まで運用されていた旧姫路海軍航空隊の鶉野(うずらの)飛行場跡があります。当時、航空隊には17歳から25歳までの若者が全国から約320名集められ、ここで30時間の飛行訓練を受けた後、各航空隊へと散っていったそうです」と、特攻隊について語る芦田氏。昭和20年、練習生による神風特攻隊「白鷺隊」(シラサギと書いてハクロ)が編成され、この飛行場から飛び立った63名の尊い命が終戦までに失われたのだという。また、飛行場の西南には、当時川西航空機姫路製作所鶉野工場があり、「紫電」「紫電改」など500機余りの戦闘機が組み立てられた歴史を持つ。

「現在も幅60m、全長1200mのコンクリート製滑走路が当時のまま残され、その周辺には姫路海軍航空隊の地下防空指揮所跡や防空壕跡、機銃座跡などの貴重な戦跡が点在しており、その保全と後世に戦争の怖さを伝える平和学習の為の取り組みに私自身も参加しています」

 自分達が暮らす地域に海軍航空隊が身近にあった事、そこから多くの若者が戦地へ飛び立って行った事、そして艦船や航空機の技術が戦後日本の工業製品技術の礎となっている事を、当時の写真資料だけでなく、立体物として作った艦船模型を通じて1人でも多くの方に戦争のことを知って欲しい。芦田氏はプラモ制作に込める思いを語ってくれた。

■誰も作っていない「戦艦大和の艦尾格納庫」を再現したい

 プラモ制作を通じて“戦争の歴史”を表現している芦田氏にとって、プラモデルの原体験となっている「戦艦大和」は特別な存在。だからこそ、「誰も作っていない大和」を作りたいと考えるようになったと言う。

「キッカケは、タミヤ1/50スケールプラモデル『日本海軍 零式水上観測機F1M2』を2009年に手に取った事でした」と話す芦田氏。このキットはニチモの1/200スケール戦艦大和が発売された1968年の前年、67年に発売(93年再販)された古い金型のキットでタミヤの秀作キットと言われている。当時、友人であり“プラモデルのマエストロ”ことプロモデラー・越智信善氏が店長をされていたレオナルド2横浜店に行った際、たまたま棚にあった中古品を発見し購入。このキットのウンチクを越智氏に一通り聞かせてもらったことが「大和の艦尾格納庫」の妄想を膨らます大きな要因となったようだ。

「越智氏も私と同じニチモ1/200戦艦大和を作られていた事から、艦載機である零式水上観測機を“主翼を折りたたみ状態で再現する”事が話題になりました。それならばまだ誰も作っていない『戦艦大和の艦尾格納庫』を再現したいと思い立ちました」

 まるで映画の一場面のような本作『戦艦大和の艦尾格納庫』のテーマについて聞くと、「戦場へ向かう直前に格納庫内で繰り広げられる整備風景、作戦会議の様子、束の間の休息をとり戦友と語り合う兵員の姿を、当時の戦艦大和艦内の様子に思いを馳せながら創作した」と語った。

「実際に大和の艦内がどうだったのか?当時の最高軍事機密であった事から、全体の図面はおろか写真すら残されていない物を想像だけで創作する作業でした。今となっては大和の研究者であっても実物の内部を見た事が無く、『これが正解』というものが無いだけに、あくまでもフィクションとしてそれらしく作れると言う事でもあり、それこそが模型の面白いところでもあると考えました」

 また、氏は大和の情報を集める過程で、小学生の頃と今では「戦艦大和」への印象は大きく変わったと話す。「スケールモデル制作を通じて大和が建造された歴史的背景も学びました。模型として作る大和は今見ても艦影が美しい船であり、戦後、日本が『モノづくり大国』として世界に認められる礎となった技術の結晶」と説明。一方で、兵器として誕生した歴史を背負っている点も「忘れてはならない」と強調する。だからこそ「大和の“美しさ”や“歴史的な重み”をプラモデルで表現したい」と、尽きない“大和への想い”を語ってくれた。

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