志村さん死去、生ラジオでも次々と追悼 伊集院光、高田文夫、カンニング竹山が思い語る
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 新型コロナウイルスに感染して肺炎を発症し、入院して治療を受けていたお笑い芸人の志村けんさんが29日午後11時10分、東京都内の病院で死去した。70歳。訃報を受け、生放送のラジオ番組では次々と追悼の声が寄せられた。

【写真】いしのようこ、志村けんとの肩組みショット

 TBSラジオ『伊集院光とらじおと』(前8:30)では、ゲストコーナーの前に訃報が伝えられた。パーソナリティーの伊集院光は「突然飛び込んできたニュースですけど。うまい言葉は見つかりませんけど、僕らはいつどんな時でもお茶の間を明るくしてくれる人として志村さんを認識して、この世界に入ったので、きょうはこの後(ゲストが)お笑いの永野くんですけど、明るくやります。申し訳ない。僕らの中での存在感では、ここですぐに追悼番組でもおかしくないくらいなんですけど、心の整理もつきませんので、明るくやらせてもらいます。志村さんのご冥福をお祈りします」と呼びかけた。

 その後、エンディングトークで再び志村さんの訃報に触れ「志村さん亡くなりまして。僕は志村さんがドリフに入ってきたという時の直撃世代で、その後にヒゲダンスっていうのがものすごく流行って…」と回想。「この世界に入ってから、ほかのタレントさんに比べて、そこまでたくさん共演機会があったわけじゃないけど、長く活躍した方なので、若い方もそうでしょうけど、特に50代なんていうのはは面白いっていうことはどういうことかっていうのをドリフから教わった。そのど真ん中に志村さんがいらっしゃった。だからショックでかいし、うまく整理できないですね」と率直な思いを打ち明けた。

 ニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(前11:30)では、番組冒頭に志村さんの「東村山音頭」が流しながら、パーソナリティーの高田文夫氏が「コロナ怖いね。志村さんを持っていっちゃうんだから、たまんない」とコメント。松本明子が「笑わせてくれた」と語ると、高田氏が「その分だけ悲しくなるんだよ。お笑いの人っていうのはたくさん笑わせてくれると、その分だけ悲しくなるんだよ」と話した。

 放送作家として駆け出しの時代、思い出をともにしたことを振り返りながら、志村さんが2009年に『ビバリー昼ズ』に出演した際の音源をオンエア。その後、高田氏は『ビートたけしのオールナイトニッポン』時代、志村さんが生放送の見学に訪れたことがあったと振り返り「『ちょっと勉強させてください』って生放送中に来て。それで最後まで聞いていて。『到底、私にはできない仕事です』って帰っていったのよ。しゃべりになると、たけしさんがいたから『ああ、これは勝てない』っていうことで『自分は作り物のコントを作っていこう』って。志村さんは自分の方のコントの役作りをやって、バカ殿とか変なおじさんとか、そういうのを作っていって。やっぱり、偉大な喜劇人だったね」と偲んだ。

 その上で「ラジオっていうのは元気になって朗らかになってもらう、そして生の情報をどんどん送り続ける。情報と朗らかな気持ちになってもらうっていうことだよな」とラジオの使命を改めて語った。

 TBSラジオ『たまむすび』(後1:00)では、カンニング竹山が「きょうは正直、ちょっとつらいですね…」と切り出すと「久々にショックと言うか、ここに来る前も上島竜兵さんと話してて、まさかこんなことになるなんて…」と打ち明けた。竹山は続けて「何度か飲みに連れて行ってもらった」という志村さんのエピソードも紹介。かつて自身のラジオ番組の発言が、「志村さんの悪口を言っている」とネット上で誤って広まってしまったため、上島の仲介により志村さんに直接説明すると「ネットのことは気にするなよ。オレと写真を撮ってブログに載せりゃ終わりだろ」と優しく対応されたことを振り返った。

 文化放送は公式ツイッターを更新し「志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなりました。文化放送では2001~2003年、志村けんさん沢田研二さんの『ジュリけん』でお世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。そして若い方含め、みんなで今何ができるか、何をしてはいけないか、考えましょう。一緒に頑張りましょう」と追悼した。

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