脱サラして興行師に…神田伯山を支える妻の手腕「一時は納豆しか食べられなかった」
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 100年ぶりの“講談ブーム”の立役者であり、コンプライアンス度外視の毒舌っぷりでテレビ界にも旋風を巻き起こしている、神田松之丞あらため六代目神田伯山。妻・古舘理沙さんは公私にわたるパートナーで、大手芸能事務所に所属していない伯山のマネジメントも行っている。元会社員でありながら、落語や講談のプロデュースを手掛ける興行師の道を選んだ理由とは。彼女にこれまでの道のりや伯山との出会い、マネジメントの裏側を聞いた。

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■「突如、“落語沼”にはまってしまった」大手出版社を退社して30歳で独立

――古舘さんは、元々落語や講談に興味があったんですか?

【古舘理沙】いえ、全く観たことも聴いたこともなかったんですよ。出版社に就職して2年くらい編集の仕事をやっていたんですが、その時にたまたま宣伝会社の人に誘われて。初めて聴きに行ったのが、上野にある鈴本演芸場です。当時はみんな、客席でご飯を食べてビールを飲みながら楽しんでいて「なんて緩いユートピア!」って衝撃を受けました(笑)。当時働いていた雑誌は、年収数千万以上のベンチャー社長が想定読者で、とにかくギラギラしていたので真逆の世界。だから最初は落語に惹かれたというよりも、その世界観を好きになったんですよね。そこから色んな寄席にいくようになって、色んな落語家さんを知って、どんどん落語の魅力にもハマっていきました。

――かなりの数の公演を観に行っていたんですか?

【古舘理沙】そうですね。1人の落語家さんを知って公演に行くと、また別の方を知って好きになる。それの繰り返しでどんどん“沼”にはまっていきましたね(笑)。追っかけみたいに地方公演も行っていました。でも色んな公演を観ていくうちに、落語自体も勿論好きなんですが、会場やグッズが気になりだして、こうした方が良いのになぁって、だんだん制作目線で見るようになっているのに気づいたんですよね。

――落語に出会って、4年で会社を辞めて興行師として独立された?

【古舘理沙】色んなタイミングが重なって、“今だ”と思ったんですよね。その時の自分にはその選択肢しかないような気がして、勢いもかなりあったと思います。ただ私の中で、この先もずっと会社勤めをするイメージがなくて、どこかで自分が一生かけてやる仕事をやりたいと思っていた。そう考えたとき、私にとってそれは「落語の世界」だったんですよね。それでたい対して知識も経験もないのに、いきなり会社を辞めてこの世界に飛び込みました(笑)。

■会社員から一変、毎日納豆生活「それでもこの素敵な世界を多くの人に知ってほしかった」

――最初はたった1人で活動されていたんですか?

【古舘理沙】そうですね。会場押さえから落語家さんのキャスティング、チケット販売や宣伝なども1人でやっていました。1年目は勢いで何とかなったんですが、2年目は地獄でしたよ(笑)。興行師1本でやっている人なんてほとんどいなかったですからね。家賃が払えるかどうかの状態が続いて、実家から送ってもらった米と100%野菜ジュースに、納豆と卵しか食べられなかったくらい。通帳残高が常に数百円とかで、もうどうにもならないなぁ、と挫けそうになった頃にチケットが1枚売れて3000円入金があると「これであと1週間生き延びられる!ありがたい!!」とATMを拝むみたいな生活を1年くらいしていました(笑)。

――軌道に乗ってきたのはいつくらいからですか?

【古舘理沙】独立した時、3年で結果が出なければやめようと思っていたんです。ちょうどその3年目でようやく食べられるようになって、何かがどうなったとかではなく気がつけば徐々に徐々に、ただ夢中にやっていたら人が増えていった感じですね。

――それだけ大変な中、なぜ続けることができたんですか?

【古舘理沙】26歳まで落語の世界を知らないで育ってきたので、なんだかそれを恥じる気持ちがあったんですよね。子どもの頃から見ようと思えば見られたのに、何でもっと早くこんな素敵な世界を知らなかったんだろうって。だから、色んな人にいち早く落語の魅力に気づいてほしい、知ってほしいというのがありました。あとは、演者さんへの信頼感。本当に凄いんだから、絶対面白いっていう確信があって、その人達がもっと世に知られて欲しい、知られるべきなんだと。それが大きな原動力でした。

■第一印象は「“この人売れるな”とかは全くわからなかった」神田伯山の魅力とは

――古舘さんが神田伯山さんと初めて出会ったのはいつですか?

【古舘理沙】会社を辞めて、興行師として独立して初めて開催した興行で、キャパ12名のカフェが会場だったんです。かなり小規模だったんですが、そこに出演してくれた中の1人が神田伯山でした。

――初めて講談を聞いた時から、この人は何か違うなと感じたんですか?

【古舘理沙】面白かったです。熱量が凄かった。江戸の落語は“熱演しないのが粋”みたいな価値観もあって、例えるなら“水墨画”のような世界なんです。でも彼の講談は“劇画”みたいに、効果音がいっぱいでスペクタクルな印象でした。当時は私も落語しか知らなくて、それが彼の特性なのか、講談の特性なのかも、わかりませんでした。だから、“この人は絶対売れるな”とかは、全くわからなかったです(笑)。

――いまや伯山さんの講談は毎度満員御礼。初めて来た人にもわかりやすいことも人気の理由なのでしょうか。

【古舘理沙】そうですね。講談特有の難しくて古い言い回しを、多くのお客様が知らない前提でやっています。より多くの人に伝わるように配慮しながら、現代には通じない表現はあえて言い換えたり、逆にそのままにしたり、細かくバランスをとる作業を意識的にやっているので、初めて聴いた方でも楽しめるのだと思います。講談を知れば知るほど、落語と比べてなぜ演じ手が少ないのか不思議に思うくらい、奥深く面白い世界だと感じます。「講談を世に広めたい」という伯山の目標に対して、私にもできることがあればと思ったのが、マネジメントを請け負うことにした大きな動機です。


 たとえ毎日納豆しか食べられなくても、ただただ1人でも多く落語や講談の魅力に気づいてほしい――。その思い1つで、無我夢中で走り続けてきた古舘理沙さん。ここ数年の環境変化に大きな戸惑いを感じながらも、日本の素晴らしき伝統文化を受け継いでいくため、出会うべくして出会った2人の挑戦はまだ始まったばかりだ。
 インタビュー後編では、出演番組の選ぶ基準やYouTube制作の狙い、知られざる伯山の素顔など、マネジメントの裏側に迫る。


(取材・文=山本圭介)

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