沖水の故栽監督ノートを初公開 沖縄県勢初の甲子園決勝進出
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 沖縄水産高野球部監督だった故栽弘義さんが在任中に所感を記したノート
 沖縄水産高野球部監督だった故栽弘義さんが在任中に所感を記したノート 栽弘義さん

 沖縄県立沖縄水産高で野球部監督を務めた故栽弘義さん=2007年に65歳で死去=が在任中に所感を記したノートが、那覇市の県立博物館・美術館で初公開されている。栽さんは夏の甲子園大会で1990年に県勢初の決勝進出を果たし、2年続けて準優勝に導いた名将。「皆いい顔してる」「皆弱いんだ」。言葉の端々に選手への思いがうかがえる。29日まで。

 栽さんは41年、同県糸満市生まれ。太平洋戦争末期の沖縄戦で姉3人を亡くし、自身も背中に大やけどを負った。中京大を卒業後、沖縄に戻り、高校野球の指導者に。県立豊見城高と沖縄水産の監督として春夏計17回の甲子園出場を果たした。

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