敷島の伝説の真相 実はフランク・オドールの来県と混同か
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
フランク・オドール
フランク・オドールの来県を伝える昭和8年12月25日付上毛新聞

 ベーブ・ルースが特大ホームランを打ち、ボールが利根川に落ちた―。群馬県の上毛新聞敷島球場(前橋市)に残る「伝説」だ。ルースの来県は確認されておらず、長年真偽は不明だった。だが、同時期に別の人気大リーガーが来県していたことが分かり、ルースと混同して伝えられた可能性が浮上。「野球の神様」を巡る伝説の真相が見えてきた。

 伝説では、1934年に日米野球大会で来日したルースが敷島球場での試合でプロ野球創設期の大投手、沢村栄治からホームランを打ち、打球は利根川の河原に落ちたとされる。2人の勝負だけでも夢の対決だ。

◎「試合見た」証言も記録なし
 伝説はまことしやかに伝えられてきた。県が2003年に発行した『都市公園事務所の歴史』は「…と言われている」と伝聞形で記載。元前橋市立図書館長の佐藤寅雄さん(故人)が翌年出版した『岩神風土記』にも「大変な騒ぎでした」と当時の様子が記されている。その試合を「見た」と言う高齢者もいたという。

 一方、「日米野球は当時の群馬では開かれていない」と話すのは前県立敷島公園長の福士淳治さん(71)=同市昭和町=だ。指定管理者として園長を務めた12年に、伝説を球場のPRに使おうと、出版物や新聞記事を調べた。全国各地で開かれていたが、本県開催の記録はなかった。

 福士さんは「近隣の大宮や宇都宮の試合を見た人が記憶を取り違えたのではないか」と推測し、PR活用案はお蔵入りになった。

 さかのぼって1931年11月には前橋で日米野球が開催されたとの記録もあるが、ルースは不参加。結局、ルースが前橋に来た証拠は見つかっていない。
 今年に入り、前橋市の前橋学センター長、手島仁さん(59)が昭和初期の上毛新聞を調べていて偶然、新事実を発見。日米野球前年の33年12月24日に、人気大リーガーのフランク・オドールが敷島球場で開かれた中学生(現在の高校生)向けの野球教室に参加していた。

◎日米の懸け橋に「日本野球の父」
 オドールを招いたのは「日本プロ野球生みの親」と言われた伊勢崎市出身の鈴木惣太郎で、日米野球の仕掛け人でもある。野球教室に先立ち、オドールを紹介する5回連載の記事を自ら寄稿していた。

 「ルースに次ぐ人気選手」「球場にはファン一杯」との見出しが当時の盛り上がりを伝える。オドールは日米の懸け橋となり、鈴木と共に東京ジャイアンツ(現巨人軍)の名付け親になったことでも知られる名選手。「日本野球の父」とも呼ばれ、日本の野球殿堂入りを果たしている。

 手島さんもルース伝説に疑問を抱いていた1人。野球が敵国のスポーツとされた太平洋戦争中に正しく事実が伝わらず、オドールの盛り上がりが有名なルースに置き換わってしまった可能性があると指摘する。

 さらに「ルース伝説も夢があるが、鈴木惣太郎の招待で、日本プロ野球の発展に貢献したオドールが球児を指導した事実の方が群馬にとってはより意味がある」と今回の発見の意義を解説する。福士さんも「オドールなら騒ぎの合点がいく。記憶違いの可能性が高い」としている。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事