民思う藩主の姿 悪役像を覆す 「下馬将軍」酒井忠清の書状翻刻
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「前橋風 第三号」を手に「酒井忠清の実像を知ってほしい」と話す野本理事長

 江戸幕府の大老を務めた前橋藩主、酒井忠清が江戸から前橋に指示を出した書状(申渡もうしわたし状)109通について、NPO法人まやはし(野本文幸理事長)が原文を生かして活字化する翻刻で出版した。忠清は独裁的な権力を振るったとされ、小説でも悪役として描かれてきた。だが、研究から年貢の軽減や城内の寺や屋敷の配置を細かく指揮するなど藩政に心を砕き、前橋の民を思いやる姿が浮かび上がった。

 野本理事長や県教委、前橋市教委、県立文書館、県立歴史博物館の職員ら6人による研究会が2016年から計37回の勉強会を重ね、雑誌「前橋風 第三号」に収録した。忠清の申渡状を研究している九州大の福田千鶴教授の指導も受け、発給された年を特定し、詳細な解説や語句の注釈を付した。発給年は97通が不明だったが、文書内の人物関係、役職などから一部を除き推定した。

 《酒井忠清》 1624~81年。徳川家譜代の家系で、前橋藩第4代藩主。将軍家綱の時代に老中、大老を務めた。屋敷が江戸城大手門のこれ以上は馬で進めない「下馬札」の前にあったことから、「下馬将軍」とも呼ばれた。

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