112年前 明治40年元日の上毛新聞 前橋の米穀店で見つかる
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前橋市内の米穀店で見つかった1907年元日の上毛新聞

 1907(明治40)年1月1日発行の上毛新聞(第5831号)が、前橋市内の米穀店で見つかった。名刺広告に政治家や経済人の名が数多く並び、日用品などの広告から市民の生活をうかがえる。県立文書館にも保管されていない号で、当時の様子を知る貴重な資料と言えそうだ。

◎年賀広告に名士の名前
 見つかった新聞は元日付の1~16ページ。同市石倉町の砂長米穀店の店舗兼住宅で保管されていた。3月に亡くなった砂長ミツルさんの遺品を整理していた長女の田口里美さん(65)=高崎市=ら親族が見つけた。

 1面の1段目には、知事の有田義資、実業家の古河虎之助、衆院議員の日向輝武(藤岡出身)、皇居二重橋を設計した久米民之助(沼田出身)、前橋中学校長の岡元輔、県女子師範学校長の山高幾之丞らの名が並ぶ。1面中央部に社主の篠原叶が香雨の号で書いた新年のあいさつがある。

 前橋市長の稲葉秀作は「養痾ようあ旅行のめ年賀の欠禮けつれいを謝す」、前橋商工会議所初代会頭の江原芳平は「忌服中につき拜趨はいすう年賀の禮をく」と記している。

 勢多郡長の福田伊八ら群馬郡長11人が一つの枠内に収まり、県師範学校は羽田貞義校長と管理職と思われる5人の名が一緒に掲載されている。8面掲載の太田尋常高等小学校は女性教員とみられる名前もある。

 前橋学センター長の手島仁さんは「当時の名士が元日に名を連ねている。同じ枠にいる人がどんな関係かを見ると面白い」と話す。非政友会の衆院議員、関口安太郎(前橋出身)と須藤嘉吉(安中出身)が同じ枠にいるほか、前知事の吉見輝が水戸市から、群馬郡長だった今村真橘が三重県からそれぞれ名を寄せているのも興味深いという。

 前橋の生糸商の竹内勝蔵、榛名風穴合資会社、高崎蚕病予防事務所、甘楽社本庄分工場など養蚕製糸に関わる名も並ぶ。

 政友会の支部として使われた旅館の住吉屋(前橋市桑町)は写真付き。パン製造の日英堂(高崎市連雀町)の広告には「ライスカレー種」「シヤンピンサイダー」の文字がある。前橋有数の劇場「柳座」(前橋市小柳町)が2日の演目を告知しているほか、芸妓げいぎ所や料亭の広告も多い。

 酒の銘柄に「隊長」とあったり、「新刊 新婦の心得」といった書籍の宣伝もあり、時代を感じさせる。

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