東郷平八郎の訓令 織り込んだ伊勢崎銘仙 民家から発見
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
東郷平八郎の訓令を織った併用絣の掛け軸。筆で書いたような味わいがある

 日露戦争時の連合艦隊司令長官、東郷平八郎(1848~1934年)の訓令を織った群馬県の伊勢崎銘仙の掛け軸が、伊勢崎市内の民家で見つかった。昭和初期に作られたものとみられ、この時代の銘仙の軸物が見つかるのは珍しいという。所有者から寄贈を受けた市図書館は「伊勢崎銘仙の歴史を知る貴重な資料」と評価している。

◎日本海海戦の士気高める文言
 掛け軸は縦121センチ、横37センチ。日本海海戦(1905年)に臨む海軍の士気を高めるため、東郷が掲げた「皇國興廃在此一戦 各員一層奮勵努力」の文言が黒地に白の文字で織られている。掛け軸が入っていた筒には「東郷元帥訓令語織物軸」と書かれている。

 寄贈したのは祖父が機屋だったという久保田ゆき枝さん(83)=同市馬見塚町。家には銘仙に関連する物が数多く残っており、整理をする中で見つけた。図書館が伊勢崎銘仙のアーカイブ化に取り組んでいることから、これまでも資料を寄贈したりヒアリング調査に協力したりしている。

 掛け軸は伊勢崎銘仙の技法の一つ、併用かすりで作られている。併用絣は模様を型染めした経緯たてよこ両方の糸を組み合わせて柄を作るため、高い技術が必要。大正期に作られ始め、昭和5(1930)年ごろに技法が確立したとされる。

 掛け軸の文字は、まるで筆で書いたような味わいがある。伊勢崎銘仙プランナーの金井珠代さん(63)=同市波志江町=は「文字のずれが少なく、関わった人たちの技術の高さが分かる」と驚く。柄のずれを防ぐため、布地の端に付ける「耳返し」という印がないことから、「技法が確立して間もない頃に作られたのでは」と推測する。

 併用絣の掛け軸は、かつて機屋「平達織物」を経営していた故・平田達男さん(同市除ケ町)が十二支や風景の掛け軸を制作したことで知られる。問屋の贈答品用に作り始めたが、着物が売れなくなってからは掛け軸が経営を支えたという。

 同館は「軸物は戦後のイメージだったが、当時こういう物が作られていたことが分かった。誰が何のために作ったかなど、今後も調査研究を進めたい」としている。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事