近藤勇が新選組役割表 群馬県立文書館所蔵史料に 黎明期語る手紙の写し
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新選組局長の近藤勇が書いた手紙を写したとみられる史料。右ページに、近藤の名前や日付があり、運営方針の対立から暗殺された芹沢鴨について「変死」と記している。左のページには役割表が記されている(県立文書館所蔵)

 幕末に活動した新選組の局長、近藤勇が結成前後に自ら隊士の役割表を記した手紙を写したとみられる史料が、群馬県立文書館に残されていることが25日、分かった。歴史研究家、あさくらゆうさん(51)が確認した。

 手紙の日付は1863(文久3)年9月20日で、運営方針を巡り対立した芹沢鴨の暗殺直後。新選組の存在が広く知られるようになったのは、攘夷じょうい派を襲撃した翌年6月の池田屋事件以降で、黎明れいめい期の様子を理解する貴重な史料となりそうだ。

 手紙は、現在の伊勢崎市で旗本の家臣の家柄だった萩原信之家に残された文書のうち「梧桐叢書あおぎりそうしょ」と題した冊子に収められていた。近藤が出した他の手紙もあり、ゆかりの人物が所有していた史料を、まとめて写した可能性がある。

 内容は、江戸市中にあった剣術道場、試衛館の創設者で養父だった周助の容体悪化を伝えられながら、京都を離れられない理由をつづったもの。道場の跡を継いだ近藤に代わり、留守を預かる幕臣の寺尾安次郎へ宛てたものとみられる。

 幹部だった芹沢の暗殺を「変死」とした上で、自分ひとりで攘夷派の取り締まりや取り調べを指揮しなければならず「寸暇も無之」と記載。養父の世話などを任せていることを心苦しいとして金を送り、状況が落ち着いたら江戸へ下るとした

 それに続き、役割表は21人の名前を記している。新選組を所管した京都守護職で会津藩主の「松平肥後守御預り」「右役割被 仰付候」と明記し、「局長」に近藤勇、「助役」に山南敬介、土方歳三とある。「当番目付」には、後の小隊制でそれぞれ組頭となる沖田総司や永倉新八、井上源三郎、斎藤一らが並ぶ

 芹沢や同じく暗殺された平山五郎の名前はなく、芹沢の仲間で脱走した平間重介が担っていた「勘定役」は、土方と永倉の2人で兼務とするなど、混乱ぶりもうかがえる。

 4月25日は旧暦で近藤の命日。あさくらさんは「同様の内容の手紙はもう1通あるが、近藤の名で役割表が書かれたものはない。新選組の歴史を知る上で不可欠な史料で、残されていたことが素晴らしい」と話す。

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