疫病の脅威を語る 前橋・旧上川淵村の昭和初期の資料発見
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昭和2~23年(16年除く)の上川淵村役場当直日誌
翻刻作業を進める研究会のメンバー=新型コロナウイルス感染拡大前の2月に撮影

 1927~48(昭和2~23)年に記録された旧上川淵村(現前橋市上川淵地区)役場の当直日誌が見つかった。新型コロナウイルス感染が広がる現代と同じく、村が感染症の発生に強い危機感を持っていたことや、戦争の影が色濃くなっていく様子が読み取れる。村単位の日常業務を記した文書は珍しく、専門家は「末端行政の動きを通して激動の昭和が分かる貴重な資料」としている。

◎地方への戦争の波及も克明に
 地元の市民グループが昨夏、旧村役場倉庫を利用した上川淵地区郷土民俗資料館に保管されていたさまざまな役場文書の整理中に発見した。当直日誌は年1冊で計21冊あり、昭和16年は欠落していた。グループは、元市前橋学センター所長で近現代史に詳しい手島仁さん(60)の指導を受けながら原本を活字化する翻刻を進めている。

 当時の村役場は村長以下10人程度とみられ、日誌は数人の書記が日付、曜日、天気、気温のほか、役場として対応した毎日の出来事を記録していた。県史や市史はあるが、特に昭和初期の小規模な村の動きが分かる文書はまれだ。

 日誌から、村が感染症に最も神経をとがらせていたことがうかがえる。無医村で水道も引かれていなかった村では、毎年のようにチフスやジフテリアなどが流行。発生した家の消毒や隣村で亡くなった人の遺体が上川淵村を通過することへの警戒感が示され、「県より防疫官が来場し、感染経路を調査」との記述もあった。

 戦争の影響が地方に及んでいく過程も見える。満州事変(昭和6年)などにより中国との緊張が高まる時期には既に戦死者がいたと記録されている。同17年には帰還兵を迎えたり、戦死者を村葬で弔うなど兵士への手厚い対応をしているが、太平洋戦争が泥沼化していくのに従って各地の村葬に職員総出で対応する様子が記述されている。

 1ページに1日分ずつ書かれていた日誌は同年から、節約されて2日分に使われるようになり、紙の質が低下。同19年に物資不足を補うため国の命令で家々から金属回収をしたことや、同20年8月5日の前橋空襲の翌日からは被害を受けた前橋市街地に炊き出しのための職員を派遣していた記録もあった。

 手島さんは「人々の生活を脅かすのは今と同じく感染症だったことがよく分かる。地方に戦争の影響が及ぶ様子も読み取れ、一番の末端行政が昭和の激動期にどう動いたか分かる貴重な資料だ」としている。

 手島さんと市民グループでつくる「上川淵村役場当直日誌研究会」は年内に翻刻作業を終え、2022年度に前橋学ブックレットとして発行を目指している。

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