七代目松本幸四郎の映像見つかる 終戦直後の前橋で「橋弁慶」
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慰問公演で披露された「橋弁慶」=「前橋の街並み風景その他」より
空襲で大きな被害を受けた前橋市の街並み=「前橋(日本)の爆撃の跡 記録映像」より

 歌舞伎俳優、七代目松本幸四郎(1870~1949年)が行った終戦直後の前橋市での公演映像が、戦争に関する資料の収集と展示、研究を行う昭和館(東京都)で保管されていることが分かった。公演の様子だけでなく、空襲で焼けた街並み、復興に向けて歩み始めた人々の姿も記録されている。専門家は「当時の様子を知ることができる貴重な資料」としている。

◎東京の昭和館が保管
 同館で所蔵されている同市の戦争関係映像は「前橋の街並み風景その他」と、空撮された「前橋(日本)の爆撃の跡 記録映像」の2点。同館によると、いずれも1945年の終戦後、米軍が記録映像として撮影したとみられる。「前橋の街並み風景その他」には、七代目幸四郎が仮設舞台で熱演する姿が記録されていた。

 前橋空襲の被害状況と復興の経過を記録した「戦災と復興」(64年、同市発行)によると、幸四郎が戦時中に前橋に疎開していた縁で、45年10月に「前橋復興舞踊大会」として同市を訪問。「橋弁慶」を演じたとされる。

 残された映像は、多くの人が列を作り、公演を楽しむ姿も捉えている。同市の歴史に詳しい元前橋学センター長、手島仁さんは「公演の写真は残っているが、映像は珍しい」とする。

 映像を研究している元あたご歴史資料館学芸員、原田恒弘さんは「公演を見た多くの人が励まされたはずだ」と想像する。関係者と一緒に、映像の場所や映っていた人の特定も進めており、「戦後復興の様子を伝える資料。戦争の歴史を今後も語り継いでいきたい」と話している。

◎「悲しみを希望に変えるのが務め」…白鸚さんがコメント
 七代目幸四郎の孫で先代幸四郎の松本白鸚はくおうさんが、上毛新聞社の取材に対してコメントを寄せた。主な内容は次の通り。

 祖父は、疎開していた前橋が戦災で焼け野原になったのを見て、疎開中に受けた皆さま方のご親切への恩返しのつもりで、公演を思い立ったそうです。このような時世であるからこそ、俳優は命を懸けてお客さまに自分の「芸」をお見せしなければいけないと思っています。

 (新型コロナウイルスの影響で)歌舞伎座公演が中止となった今、無観客の中で記録を取って、動画投稿サイト「ユーチューブ」で配信しました。俳優はお客さまの苦しみを苦しみのままで終わらせず、苦しみを勇気に、悲しみを希望に変えるのが務めだと思っています。その心は祖父、そして父へと伝えられ、私から息子、孫へと伝えていかなくてはと思っています。

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