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20日に登録有形文化財(建造物)への登録が答申された群馬県伊勢崎市境島村の蚕種製造民家3軒は、蚕種の製造販売に特化した民家の成り立ちや発展を知る上で重要と評価された。幕末から明治期にかけて蚕種の産地として栄えた同地区には、世界文化遺産の田島弥平旧宅をはじめ、多くの養蚕・蚕種製造民家群が現存。登録によって、保存へつなげようとする機運のさらなる高まりや価値の発信が期待される。
3軒はいずれも瓦ぶきで、
田島善一家(建築面積294平方メートル)は、幕末の慶応年間(1865~68年)に建てられたとされる。同地区では珍しい入り母屋造りで、蚕室だった2階の一部は展示室として整備し、月に1回公開されている。
田島達行家(254平方メートル)は棟札から66年に血洗島(埼玉県深谷市)の大工を
金井義明家(168平方メートル)は1868(明治元)年建築と伝わる。金井家は養蚕が主体だったが、大型民家が多い島村にあって中規模の蚕種製造民家の特徴をよく示している。
同地区では、蚕種製造民家などの所有者らが「境島村登録文化財活用推進協議会」を発足させ、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の選定を目指して活動している。
会長の田島達行さん(71)は「弥平旧宅周辺で3軒の登録ができたことを喜んでいる。他にも登録を目指している所有者がおり、厚みを持った文化財の活用を考えていきたい。建物を維持していくためにも点から線、面へと広げ、重伝建を目指したい」と話した。
近く告示され、県内の国登録有形文化財(建造物)は計341件となる。