室生犀星の幻の肖像画 前橋に? 金沢市の記念館が情報求める
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幻の肖像画「M氏肖像」(美術写真画報・1920年10月掲載、室生犀星記念館提供)

 容姿にコンプレックスを持っていたとされ、肖像画がほとんどない詩人で作家の室生犀星(1889~1962年)を描いた幻の1枚が前橋市内に現存する可能性があるとして、室生犀星記念館(金沢市)が行方を探している。犀星と親交のあった旧富士見村(現前橋市富士見町)の歌人が所有していたと伝えられてきたが、現在の所在は分かっていない。同館は「手掛かりがあれば情報提供してほしい」と呼び掛けている。

◎作品で自らの容姿を自虐 肖像画は生涯に2点のみ
 記念館によると、犀星はエッセーでたびたび「(顔が)美しくないために厭世えんせい的な傾きをおぼえた」「わたしの顔は、概してわたしの嫌いな顔に属している」などと自らの容姿を自虐的に描写してきた。

 親交の深かった前橋市出身の詩人、萩原朔太郎も「詩風から連想して、高貴な青白い容貌をした、世慣れない温和な青年を考えていた。しかるに実際の人物にってみると(中略)君はいのししのようにゴツゴツしていた」と犀星を表現している。

 犀星の孫で記念館名誉館長の室生洲々子さんは「朔太郎や芥川龍之介のように親交のあった人はイケメンが多く、写真写りが悪いことがコンプレックスだったようだ」と解説する。

 そのため犀星の肖像画は生涯で2点だけとみられ、1点は長野県生まれの画家、林倭衛しずえが描き、1920(大正9)年の二科展に「M氏肖像」として出展された。後に旧富士見村の歌人、小見可憐(1889~1930年)が所有し、自宅に飾っていたと、可憐の家族が書き残している。

 だが、小見家は47年9月のカスリーン台風で家を流された。絵の所在も不明だ。今は大正期の美術専門紙に掲載されたモノクロ写真しか残っていない。

 作品を巡るいきさつも謎が多い。倭衛は犀星を個展に招いたりしていたが、詳しい交流や肖像嫌いの犀星を描いた理由は知られていない。一方、裕福な養蚕農家に生まれた可憐は犀星が貧しかったころから親交があり、金銭的な援助もしていたとされるが、こちらも肖像画が手に渡った経緯は不明なのが実態だ。

 記念館は3月7日まで、写真や挿絵、文壇漫画などを集めた企画展「犀星の肖像」を開催している。幻の肖像画が小見家以外で保管されている可能性もあるとみて、同展に合わせて行方を探し始めた。

 洲々子さんは「肖像画が残っているなら、どんな人が、どんな気持ちで持ち続けていたのか。その物語を知りたい。経緯について情報があればぜひ教えてほしい」と話している。

 問い合わせは同記念館(電話076-245-1108)へ。メールの場合は(saisei@kanazawa-museum.jp)へ。

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