《週刊風っ子》新1万円札や「青天を衝け」 渋沢栄一が熱い!
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渋沢栄一の肖像写真(深谷市提供)

 渋沢栄一という人を知っていますか? およそ100年前の明治、大正時代、日本を商売で豊かにしようと活躍した実業家です。社会に必要な会社をいくつも立ち上げ、今の日本の礎を築きました。2024年から新しくなる一万円札の肖像に選ばれ、渋沢の生涯を描いたNHK大河ドラマ「青天をけ」が14日から放送されるなど社会の注目を集めています。

◎「立志と忠恕」偉人の思いを知る…地元の深谷市で授業
 渋沢の出身地で、群馬県に隣接する埼玉県深谷市の小中学校では、子どもたちが渋沢の生き方や考え方を授業で学んでいます。渋沢が大切にした「立志(夢と志)と忠恕(真心と思いやり)」を身に付けるのが目標です。

 渋沢栄一の学習コーナーを見ながら話し合う深谷小児童=4日

 2月初めに深谷小を訪れると、4年生の教室前に社会科で学んだ渋沢のことをまとめた資料が掲示してありました。学習を振り返り、渋沢がつくった会社や関わりのある人物について先生がクイズを出すと、児童4人が競って答えました。

 「渋沢栄一ってどんな人?」と尋ねると、芳賀海斗君(10)は「500以上の会社をつくったり、人の役に立つことをしていてすごい」と教えてくれました。江原鈴乃さん(10)は「周りへの思いやりがあって優しい人。私も見習いたいです」と話しました。

 日本の製糸業を発展させた富岡製糸場の設立に関わるなど、渋沢は群馬県にもゆかりがあります。会社をつくるほかにも、弱い立場の人を助ける活動をしたり、外国との交流を大切にしたりしました。

 渋沢はどのような思いで、さまざまな事業を成し遂げたのでしょう? 身近な偉人について学んでみましょう。

◎道徳で「志」を勉強 給食に好物「煮ぼうとう」
 渋沢の心を子どもたちに受け継いでもらおうと、深谷市の小中学校では、渋沢のエピソードを題材にした教科書「渋沢栄一翁 こころざし読本」を使って、道徳の勉強をしています。

 渋沢を題材にした道徳の授業で学ぶ深谷小児童

 深谷小の5年生は4日、「幸せになるにはどうしたらよいか」をテーマに学びました。渋沢が外国を訪れて日本の立場を知り、帰国後、日本を豊かにしようと、なぜ社会のためにお金を使ったのか、みんなで考えました。

 授業の他にも渋沢の命日に出る給食で、渋沢が好んだ郷土料理「煮ぼうとう」を味わったり、毎週、渋沢にちなんだクイズを放送したりしています。

 幅広の麺と野菜がたくさん入った煮ぼうとうを味わう子どもたち=2020年11月、埼玉・深谷小

 地元では親しみを込めて「栄一翁」「渋沢さん」と呼んでいて、地域に愛される偉人です。

◎実業家として産業発展…渋沢栄一記念館学芸員・馬場裕子さんに聞く
 渋沢はどんな人物で、どのような事業を成し遂げたのでしょう? 渋沢栄一記念館の学芸員、馬場裕子さんに渋沢の生涯について聞きました。馬場さんは「いつも周りの人の幸せを考え、行動を起こした人でした」と話します。

 渋沢栄一の生涯を教えてくれた馬場さん

 渋沢は江戸時代後期の1840年、現在の深谷市の農家に生まれました。渋沢の家では特に布や糸を染めるあい玉を作って売っていました。あい玉はアイの葉を加工した商品で、幼い頃から商売が身近な環境で育ちました。

 7歳ごろから、いとこで10歳上の尾高惇忠に学問を習い始め、のめり込みます。当時近くには江戸に通じる利根川の船着き場があり、江戸の文化や経済の情報がいち早く伝わり、さまざまなことを知ることができました。

 青年時代、国を治める幕府が欧米から来た強い外国人に好きなようにされるのを見て、これではいけないと考えます。幕府に抗議しようと高崎城を乗っ取り、外国人が住む横浜の居留地を焼き払う計画を立てました。しかし仲間の説得であきらめ、家族に迷惑をかけないように家を離れました。

 渋沢栄一の略歴

 その後、後に将軍となる一橋慶喜の下で幕府の中から日本を変えようと働きます。27歳の時、幕府の使節団の一員としてフランスを訪れます。豊かな社会に驚き、みんなからお金を集めて生活を良くする株式会社を日本にも取り入れ、発展した国をつくろうと決意しました。

 帰国後、明治政府で日本の産業を盛んにしようと富岡製糸場を建てたり、お金や銀行、鉄道の仕組みを考案したりしました。実業家として電力、製紙業、大学など、暮らしを豊かにする500以上の会社や学校に関わり、日本経済の発展に力を尽くしました。

◎平和願い日米で人形交換 国際交流や福祉にも力
 渋沢は商売だけでなく、国際社会の一員として子どもたちに外国と仲良くする大切さを伝えました。生涯を通じて福祉にも力を注ぎ、社会全体が幸せになるように考えました。

 大正時代から昭和の初め、日本とアメリカの仲が良くない時期がありました。関係を良くしようとアメリカのルイス・ギューリック博士と協力して、日米の人形を交換する平和交流をしました。アメリカの子どもから約1万2700体の青い目の人形が全国の学校に届けられ、お返しに日本人形を送りました。中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」には、アメリカから当時の町の学校に送られた人形「ローズ・メリー」が残っています。遠くアメリカから来た人形は珍しく、子どもたちに愛されました。

 中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」が所蔵する青い目の人形

 その後、日本とアメリカが敵同士になった太平洋戦争を機に、ほとんどの人形が処分されました。しかし一部の学校で先生が人形を守り、群馬県内には19体が残っているようです。

 福祉分野では、渋沢は困っている子どもやお年寄り、病気の人を助ける施設をそれぞれつくって支援しました。渋沢の考えは、現在の社会福祉の仕組みの基礎になっています。

 ※「週刊風っ子」は毎週日曜発刊の上毛新聞子ども新聞です。

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