「上毛野支配した豪族の墓」推察を補強 前橋・愛宕山古墳が初の墳丘発掘調査 全方向葺石で3段築成以上
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愛宕山古墳で行われた現地説明会=2月14日
 

 前橋市教委が発掘調査している7世紀前半築造の方墳「愛宕山古墳」(同市総社町)は、大量の葺石ふきいしを施した3段築成以上の構造と分かり、研究者の注目を集めている。墳丘の発掘は初めてで、権威を示すことを意識した重厚な造りと判明した。ヤマト王権との結び付きを示す家形石棺を持つことや規模から、これまで上毛野(古代の群馬)全域を支配する豪族の墓と目されてきた。今回の発掘はこの推察を補強し、古墳の価値を高める結果をもたらした。(三神和晃)

 愛宕山は利根川西岸に広がる総社古墳群に属す。形状は四角形で一辺約56メートル、高さ8.5メートル。同時期では国内有数の大型方墳となり、開口していた石室内や周掘の調査は過去に行われていた。

 今回の発掘で、古墳を覆う土を取り除くと、2段築成と考えられてきた墳丘が少なくとも3段築成と分かった。墳丘は川原石を葺き、さらに外側に装飾的に葺石を施す特異な構造だった。

 葺石は石室入り口がある南側のみならず全方向に丁寧に施され、1段目の平たん面にも石が敷かれており、こうした重厚な造りは珍しいという。膨大な川原石は当時約4~5キロ離れた利根川などから運ばれたと考えられ、築造工事の壮大さをうかがわせる。

 発掘検討委員長で、県立歴史博物館特別館長の右島和夫さんは、愛宕山は古墳の形態や地域の支配構造、ヤマト王権との関係性の変化など、さまざまな転換点を示すという意味で「最重要の古墳」と位置付ける。

 右島さんによると、7世紀前半は前方後円墳の終末期で、以降は小型化し、方墳に移行する。6世紀後半には80~100メートルの前方後円墳が県内各地に15基以上築造されたが、唯一総社古墳群だけが、方墳の愛宕山を成立させている。他地域では目立った方墳は確認されていない。

 右島さんは「上毛野は各地に権力者がいたが、愛宕山の被葬者を頂点として、地域再編成が進行したと考えて間違いない」と分析する。その上で、「愛宕山は同時期では東国唯一の家形石棺を持ち、巨石を積み上げた畿内系の石室構造であることから、本県の権力一元化の流れには、ヤマト王権による中央集権化の流れが深く関わっているはず」と指摘する。

 検討委のメンバーで、近畿地方の遺跡に詳しい国立歴史民俗博物館(千葉県)副館長の林部均さんは、愛宕山は近畿系石室の特徴をよく示していると認める。「驚くべきは、愛宕山は近畿で言うと、大王墓に匹敵またはしのぐ大きさの方墳であること。今回の発掘はその権力を裏付ける成果を上げた。愛宕山を含む総社古墳群は全国的に高い価値のある存在だったが、評価はさらに高まった」としている。

◎全体で国史跡指定を 保存活用へ市教委

 前橋市教委は現在、愛宕山を含む総社古墳群の保存活用のため、調査による価値付けを進めている。古墳群のうち総社二子山など3基はすでに国史跡だが、一体的なPRのため、古墳群全体での国史跡指定を目指している。

 古墳群は利根川西岸の前橋市総社町から大渡町にかけて南北約4キロに分布。前方後円墳、方墳、円墳がそれぞれ3基ずつ現存する。

 まず5世紀後半に前方後円墳の遠見山古墳が、次いで6世紀初頭に王山古墳が築造される。6世紀後半の総社二子山古墳以降は方墳となり、7世紀後半までに愛宕山古墳、宝塔山古墳、蛇穴山古墳が造られた。

 市教委では7カ年計画でこれらの古墳の調査を進めており、2022年度に報告書を取りまとめたい考えだ。

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