七輿山古墳の石室位置や規模 レーダーで掘らず短期で大きな成果
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地中レーダー探査のデータを反映した七輿山古墳の図。赤い地点は葺石などの埋設物の反応があった場所(藤岡市提供)
古墳周辺の地中レーダー探査を行う城倉准教授と学生たち

 群馬県藤岡市と早稲田大、県立歴史博物館が合同で行った国指定史跡「七輿山ななこしやま古墳」(同市上落合)の調査は、不明だった石室の位置が初めて確認され、全長が従来より5メートル大きい150メートル超と判明するなど大きな成果を上げた。調査は地中レーダー探査装置を活用した非破壊で行われ、わずか1カ月間という短期間で数年かかる発掘調査と同等の成果を導いた。同古墳を巡っては、今後、群馬の古代史と被葬者をめぐる研究が活性化しそうだ。

◎名古屋の断夫山古墳と同規模の可能性

 市教委文化財保護課によると、七輿山古墳は国指定史跡のため発掘の許可を得るのが難しく、これまで内部構造は分からなかった。

 調査は早稲田大文学学術院の城倉正祥准教授と考古学を専攻する学生が主に行った。その結果、前方後円墳の後円部中央付近で横穴式石室を確認。構造は三段築成で、地面の下に墳丘を覆っていたとみられる葺石が残っていることが分かり、全長と幅も広がった。堀などの形状も従来の想定から変わった。

 レーダー探査は地中に電波を送り、反射波の強さや反射にかかる時間から地下の構造や埋設物、深度を測る。城倉准教授と学生は2月下旬から、車輪が付いた箱状のレーダー機材を使い、地中のデータを収集した。

 デジタル3次元測量も行われた。スマートフォンを手にした学生が古墳を歩き、26万点の座標を取得。考古学調査とは分からないほど地道な作業だが、空撮による測量より高精度な立体データが得られた。地中の調査結果と併せ、「CTスキャンをかけたイメージ。古墳が丸裸になった」(同課)という。

 レーダー探査の技術が確立されたのはここ10年ほど。機材は1セット数百万円と高額で、自治体で導入しているところはほとんどない。城倉准教授は「非破壊で、正確な形や立体構造、埋葬施設の位置と規模を明らかにしたことは大きな成果だ」と強調する。

 一方、古墳の形状から推測される築造年代は6世紀の第2四半期(525~550年)と絞り込まれた。同時期の古墳としては、531年に没した継体天皇の墓とみられる大阪府高槻市の今城塚古墳(約190メートル)に次ぐ2番目の大きさとなる可能性がある。また、継体天皇と姻戚関係にあった尾張氏関連の墓とされる名古屋市の断夫山古墳(約150メートル)と同規模となった。

 古墳の大きさは被葬者の権力を示す。七輿山古墳は天皇に近い人物の墓に匹敵することから、同課の軽部達也課長は「被葬者はヤマト王権の直轄地である(藤岡にあった)緑野屯倉を治める使命を帯びた有力者。または大きな力を持った豪族、上毛野氏の誰かと推測される」と話す。

 明治大文学部の若狭徹准教授(元高崎市教委文化財保護課長)は非破壊調査での成果に驚きながら「寺院の礎石や基壇など反応を示す埋設物があると想定される遺跡の調査に利用できる」と今後の活用に期待する。

 被葬者については「規模と形状が類似する断夫山古墳と比べながら議論を進めていくことになる」との見通しを示した。

 早稲田大と藤岡市教委はデータを分析し、本年度中に調査報告書をまとめる方針。

 《七輿山古墳》 6世紀に築造された古墳としては東日本最大級。範囲確認調査は過去4回行われている。墳丘の周囲からは大型の円筒埴輪、人物、馬などの埴輪はにわが出土している。上野三碑の多胡碑に刻まれた「羊」とされる多胡郡司、羊太夫にまつわる伝説が残る。朝廷から謀反の疑いをかけられた羊太夫は攻められ、逃げた妻や従者ら7人が自害し、輿に入れて葬られた場所が七輿山という言い伝えがある。

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