江戸天明の泥流災害 物語る人骨出土 八ツ場ダム予定地の遺跡
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押しつぶされた家屋の下から見つかった1号人骨

 1783(天明3)年の浅間山噴火で発生した天明泥流で被災した石川原遺跡(長野原町川原湯)で、泥流の犠牲になったとみられる人骨3体が見つかったと、群馬県埋蔵文化財調査事業団が9日発表した。遺跡は八ツ場ダムの建設工事に伴い発掘された。天明の噴火の犠牲者が発見されるのは約30年ぶりで、ダム予定地では初めて。事業団は、吾妻川と利根川流域で1500人以上が犠牲になった泥流災害を物語る発見としている。

◎歯や頭蓋骨、大腿骨… 16~20歳以上か

 人骨は4~6月にかけて発見された。初めに、畑の跡周辺から骨盤の一部と左脚の大腿だいたい骨、脛骨けいこつ(3号人骨)などが出土。専門家の分析で人骨と判明した。16~20歳以上の可能性が高いという。

 泥流で倒壊した家屋の柱など部材を取り除くと、幅約12センチの頭蓋骨と歯の骨(1号人骨)が見つかった。約3メートル離れた場所から幅約17センチの頭蓋骨と下顎の骨(2号人骨)も出土した。2体の近くから足の骨も見つかっており、関連を調べている。3号人骨と同様に専門家の分析で、年齢や性別などを絞り込む予定。

 石川原遺跡は、噴火で浅間山北斜面に起きた大規模な土石なだれが吾妻川に流れ込み、泥流が北西方向から集落を襲った跡とみられる。2~3メートルの泥土に埋まっていた遺跡からは複数の屋敷跡が見つかり、建築部材下の人骨の近くにも民家の礎石やかまど跡が出土した。

 発掘担当者の斉藤利昭さん(60)によると、ダム周辺でこれまで100カ所以上を掘ってきたが人骨は出土しなかったといい、「(3体は)235年ぶりに見つかり、良かった。発掘の最終段階での発見に驚いている」と話した。

 天明の噴火を巡っては、79年に鎌原観音堂(嬬恋村鎌原)の石段下から、女性が老女を背負った状態の人骨2体を発見。87年にも観音堂近くの延命寺跡から男性の人骨1体が見つかっている。

 当時発掘を行った、村郷土資料館名誉館長の松島栄治さん(88)は頭から足まで完全な状態で発見された観音堂の遺体と石川原遺跡の人骨を比較。「観音堂の遺体は乾いた土砂に押しつぶされ、残った。石川原は水分を含む泥流だったため、遺体が移動し損傷した可能性がある。吾妻川流域での被害を知る上で貴重な発見」と話した。

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