《平成考》文化財建造物 近代化遺産に脚光  
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世界文化遺産が決まり、富岡製糸場内で喜ぶ市民ら=2014年6月21日
 

 古代から中世の寺社、城が対象だった文化財建造物の定義は平成になって多様化した。1990(平成2)年に文化庁が「近代化遺産」を造語し、群馬県教委が明治以降の製糸場など産業遺産の調査を始めたのが契機となった。文化財保護行政が江戸期以前に偏っていたため、近代まで保護対象を広げる狙いがあった。

◎地域で活用 保存課題

 群馬県で先駆けとなったのは長野県境の碓氷峠を結ぶアプト式鉄道「旧碓氷峠鉄道施設」(安中市)。文化庁が当時の松井田町や県に「第1号を目指して」と働き掛け、93年に近代化遺産で全国初の国重要文化財になった。

 町職員だったNPO法人碓氷峠歴史文化遺産研究会の萩原豊彦理事長(66)は「保存と活用に大きな弾みがつき、鉄道は住民の誇りとなった」と意義を強調。町は国鉄清算事業団から線路跡地を買い取るなど保存に乗り出した。99年にはJR横川駅近くに「碓氷峠鉄道文化むら」をオープンさせ、鉄道遺産は地域観光の柱となった。

 近代化遺産の国重文指定は2003年の丸沼堰堤えんてい(片品村)や15年の旧新町紡績所(高崎市)などが続く。

 急激な社会変化の中で消滅の危機にある近代建造物を守るため、国は1996年に従来の指定制度より規制が緩やかな登録有形文化財制度を導入。県内第1号の県庁昭和庁舎(前橋市)や元宿浄水場(桐生市)など多様な337件が登録されている。

 群馬県の文化財史で、最もインパクトのあった出来事は「富岡製糸場と絹産業遺産群」の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産登録だ。2003年に登録プロジェクトが始動。西欧との技術交流で高品質な生糸を大量生産し、絹消費の大衆化をもたらした価値が認められ、14年に「世界の宝」になった。製糸場は市中心街に位置し、登録後は商店街の風景が一変。新規出店が相次ぎ、観光客が回遊するようになった。景観計画などに基づき製糸場と調和したまちづくりが行われ、観光地化が進む。

 このほか、国重要伝統的建造物群保存地区に06年、六合村(現中之条町)の赤岩地区が県内で初選定され、12年に桐生市の本町一、二丁目と天満宮地区も選定された。17年は上野三碑(高崎市)がユネスコ「世界の記憶」に登録。幅広い観点から身近な文化財の価値を見つめ直し、地域振興に生かす動きは加速している。

 一方、肝心の保存は課題が多い。整備費が今後10年ほどで100億円とされる富岡製糸場をはじめ、保存には負担が強いられる。深刻なのは戦前までに伝統様式や技法で建てられた近代和風建築で、消滅が懸念されている。県内には養蚕家屋など約1200件あるが、所有者が維持に苦労し、文化財としての認識も低い。

 象徴的な例が戦前の帝冠様式を伝える旧多野会館(藤岡市)で、保存運動も実らず17年に解体。世界文化遺産の田島弥平旧宅(伊勢崎市)に関連深い蚕室も取り壊しが検討される。

 どうすれば残せるか。歴史的建造物の保存に取り組む横浜国立大大学院の大野敏教授は「即効性の特効薬など無く、地道な活動の積み重ねが必要」と指摘。「建築の背景やどう使われたかなど、一つ一つの建物に『固有の物語』がある。それを解き明かし、所有者や協力者が何とか残したいと思うことが重要」と強調する。(三神和晃)

◎無形遺産登録へ始動 温泉文化
起爆剤に
 世界遺産、「世界の記憶」と並ぶユネスコ三大遺産の一つである無形文化遺産に「温泉文化」を登録しようと、群馬発の取り組みが昨年始まった。12月17日には県温泉協会の岡村興太郎会長を発起人代表とする推進協議会の発会式が県庁で行われた。

 推進協は「温泉は絹産業に代わる本県の基幹産業になりうる可能性を持つ」と位置付け、登録を地域振興の起爆剤として期待。今後は日本温泉協会の大会などで賛同を呼び掛け、登録に向けた全国的な機運を醸成していくという。

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