中曽根元首相が死去 高崎出身 外交・行政改革で多くの実績
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本紙の取材に応じる中曽根元首相=2009年撮影

 「戦後政治の総決算」を掲げて戦後第5位の長期政権を担った元首相の中曽根康弘(なかそね・やすひろ)氏が29日午前7時22分、老衰のため東京都内の病院で死去した。101歳。群馬県高崎市出身。自宅は東京都豊島区。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男で参院議員の弘文ひろふみ氏。

 首相在任約5年、1806日間は安倍晋三首相、佐藤栄作、吉田茂、小泉純一郎の各元首相に次ぐ。自主憲法制定が持論で、議員引退後もライフワークとして取り組んだ。首相在任中は国鉄(現JR各社)の分割・民営化など行財政改革を推進した。

 東京帝国大卒。内務省入り後に海軍主計将校となり、終戦を迎える。1947年、衆院旧群馬3区で当時の民主党から初当選し、当選20回。科学技術庁長官、運輸相、防衛庁長官、通産相、自民党幹事長、行政管理庁長官を歴任。82年11月、第71代首相に就任した。

 首相として戦後初めて靖国神社を公式参拝し、中国の反発を招いた。防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠撤廃など国政上のタブーにも挑んだ。

 外交では、首相就任直後に首相として初の韓国公式訪問を電撃的に実現し、関係改善を推進した。対米関係ではレーガン大統領との間で「ロン・ヤス」の信頼関係を築いた一方、日米同盟に関する「運命共同体」「不沈空母」発言が物議を醸した。85年のプラザ合意ではドル高を是正、円高を事実上容認した。

 86年の衆参同日選で自民党を衆院300議席の圧勝に導き、党総裁任期を1年延長し続投。売上税導入を目指したが、公約違反との批判を浴び断念した。97年に大勲位菊花大綬章を受章。ロッキード事件、リクルート事件を巡り国会で証人喚問を受けるなど疑惑も指摘された。

 2003年の小泉首相の勧告を契機に引退した。趣味は俳句。首相退任直後や議員引退時に「暮れてなほ 命の限り せみしぐれ」と詠んだ。

 11年10月には、県から名誉県民の称号が贈られた。

 安倍首相は29日「戦後史の大きな転換点でかじ取り役を果たした。深い悲しみを禁じ得ません。国民と共に心から哀悼の意を表します」とする談話を発表した。

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