《プレゼンター》成長に変革不可欠 ワークマン専務・土屋哲雄氏
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
つちや・てつお 1952年埼玉県生まれ。東京大卒。三井物産で経営企画室次長などを歴任。2012年にワークマン入社。「ワークマンプラス」のヒットで「マーケター・オブ・ザ・イヤー2019」大賞。67歳。
@ワークマン東京本部

 群馬県の作業服販売チェーン最大手、ワークマン(伊勢崎市柴町、小浜英之社長)にアウトドアやスポーツなど一般客向けプライベートブランド(PB)商品を充実させた新業態「ワークマンプラス」を立ち上げ、快進撃を支える。社内に価値観の大転換を迫り、一躍人気カジュアルウエア店舗として若い女性ら新たな客層を獲得した。変革の舞台裏にある成長のヒントを語る。

◎「5年で100万賃上げ」宣言し決意
 「あまり何もしなくていいよ」。2012年、創業者で叔父に当たる土屋嘉雄前会長(ベイシア会長)に誘われ、ワークマンに加わった時はこう言われた。その気で2年ほど社員と仲良くやっていたら、徐々に「どうもおかしい」と疑問が生まれてきた。

 プロ職人を顧客とする作業服専門店のままで行くと、競争相手はいないものの1000店舗、売上高1000億円で飽和になり、成長が止まると気付いた。周囲に聞くと、みんなも成長が止まると分かっていた。「じゃあ、ちゃんとやろうよ」と14年から変革に乗り出した。

 *変革の2本柱はプロ職人以外の一般客への「客層拡大」と全部署にデータ分析と活用を求める「データ経営」。5年計画で進めた。社員の評価基準を変え、失敗を恐れず変革に挑戦する姿勢を求めた。

 評価の物差しに「改革マインド」「データ分析力」などを加えた。同時に「5年で100万円賃上げする」と報酬の先払いを宣言した。うまくいかなければ出し損だが、やはり会社を変えるには会社の決意を示す必要があった。

 それまでどちらかというと創業以来の伝統を変えず、しきたり通り実直にやることが評価される会社だった。「今度は失敗してもいいから変える。チャレンジして成功するのが一番、チャレンジして失敗するのが二番、何もしないのが一番駄目だ」と言った。

 変化しない人、データを活用できない人は上に行けなくなる。先に“ごめんなさい料”を払ったので、文句は出なかった。もちろん従来もいい会社だったが、さらなる成長には変革が必要だった。

《時代は今》高機能と格好良さ人気
 「新業態を立ち上げて一般客まで客層を広げ、データ経営で運営する」。この方向性はあったが、当初は暗闇の状態だった。外部から作業服を安く大量に仕入れ、大量に売るローコストオペレーションを徹底してきた会社。商品開発の知見も少なかった。

 リーマン・ショックの影響で企業が作業服の支給をやめ、職人が個人で買うようになっていたので格好良い商品が好まれる。この路線で手探りで商品開発を始めた。すると意外にも加盟店から「バイクや釣りの一般客が増えた」と連絡が来るようになった。

 *そこで来店客に話を聞き、「ファスナーが甘くて雨が入る」「裾をもっと締めて」といった指摘や要望を全て翌年の商品に反映していった。

《経験は語る》SNS通じ開発力蓄積
 その結果、どんどん格好良い商品が生まれた。SNSで多くの読者を持ち、影響力を持つインフルエンサー向けの製品発表会も開き、要望や苦言を集めた。彼らは自分が提案した商品のファンになり、SNSで発信してくれた。二人三脚で開発力を蓄積したことが、現在の高機能、低価格のアウトドアウエアやスポーツウエアにつながった。

 PBや「ワークマンプラス」の立ち上げは同グループのカインズ、ベイシアを参考にした。両社と違って競争相手がいないので「成功するまでやめない」「時間はいくらかかってもいい」という戦い方ができる。「5年でできなければ8年かけてもやる。一度決めたら成功するまで徹底的にやり続ける」と割り切った。

 *18年に出店を始めた「ワークマンプラス」は爆発的にヒット。店舗数は150店を超えた。2020年3月期のチェーン全店売上高は5年前の1.7倍に当たる1200億円と初の1000億円突破を見込む。

 三井物産時代、複数の企業内ベンチャーを起業した。売上高100億円、利益10億円規模までは行くが、そこから1000億円、2000億円と伸ばすにはやはり標準化の力や運営力がないと難しい。だが、ワークマンは従来から優れた運営力を持っていた。私はそこに商品力を加えた形だ。

 今後は既存店の改装を含め、「プラス」の比率を高めていく。群馬は沼田市、伊勢崎市に続き、3月に前橋市に5店舗目を出す。県外が先行したのは創業地だけに「ワークマン=プロの店」という従来のイメージが強い地域だったからだ。本拠地だけに失敗が許されない事情もある。まずは外でやってから満を持してという形になった。

 *埼玉県深谷市出身だが、群馬とのゆかりも深い。会社も伊勢崎市と東京・上野に本部を置く。

 子どもの頃から埼玉北部と群馬はほぼ一体の“上武地域”という感覚だった。群馬はやはりバックオフィスとしての強みがある。東京は家賃が高いので最低限の部門だけ置き、群馬には倉庫などインフラが必要な物流部門や場所を問わないインターネット通販、総務部門などを置いている。仮に地震など災害で東京に大きな被害が出ても群馬で事業継続できる。

《こう戦おう》「日本初」の取り組みを
 群馬は東京、横浜から近く、東北や北陸にもアクセスしやすい。ネット人材も集まりやすい。東京だとアマゾン、グーグルに行ってしまう。全部東京に置く必要は全くない。コストがかかってしまう。東京―群馬の2拠点制は今後も確固たるものだろう。

 *新しいもの好きな性格と多分野の起業経験が新業態への挑戦に役立った。

 三井物産時代、電子機器製品やコンサルタント、情報システム系などさまざまな分野で経験を積んだことが良かった。一方、やったことがあるものを「もう一回」と言われると、つまらなく感じる性格なので、アパレルという未知の業界は良かった。

 特に変化が激しい時代なので何もしないと置いて行かれる。変化を起こすには新しいことの方がやりやすい。例えば千葉県内で写真共有アプリ「インスタグラム」を商品説明や集客に活用する実験店に取り組んでいる。今後も時代の最先端を走り、「日本初」というような他社にできないことをやっていきたい。(聞き手・西山健太郎、撮影・綱島徹)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事