「戦後代表する名宰相」故中曽根元首相しのぶ 高崎で地元合同葬
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故中曽根元首相の地元合同葬で献花する参列者=Gメッセ群馬、12日正午ごろ
式辞を述べる山本知事(右)、追悼の辞を述べる富岡高崎市長(中央)、福田元首相=12日、高崎市のGメッセ群馬

 昨年11月に101歳で死去した故中曽根康弘元首相の地元合同葬が12日、群馬県高崎市のGメッセ群馬で営まれた。県内政財界の関係者やゆかりの人ら約2200人が「生涯政治家」を貫き、戦後史に大きな実績を刻んだ中曽根氏との別れを惜しんだ。

◎「原点はいつも故郷・群馬に」長男・弘文氏が感謝
 式典では合同葬の実施委員長を務める山本一太知事が「確固たる国家観と歴史観を持ち、大胆な発想と強力なリーダーシップを駆使し、いくつもの大きな改革を成し遂げた。戦後の日本を代表する名宰相。活躍と功績は県民、国民の間で永く語り継がれていく」と式辞を述べた。

 続いて福田康夫元首相や実施副委員長の富岡賢治・高崎市長らがそれぞれ中曽根氏との思い出を振り返り、追悼の言葉をささげた。

 最後に遺族を代表し、長男の中曽根弘文参院議員が「父は東京や海外にいても政治家としての原点はいつも故郷・群馬にあり、上州人の誇りを持って101年余の人生を休むことなく、全力で生き抜いた」とあいさつし、多くの県民の支えに感謝した。

 祭壇にはほほ笑みを浮かべた中曽根氏の遺影とともに、日本の最高位勲章に当たる大勲位菊花章頸飾など数々の勲章が飾られた。開式に先立ち、中曽根氏が生前、人生や政治への思いなどを語った動画が会場スクリーンに映し出された。

 地元合同葬は県と同市でつくる実施委員会が執り行った。当初は4月に開催予定だったが、新型コロナウイルス感染症の影響で延期となり、参列を招待者だけに限定するなど規模を大幅に縮小した。

◎志と魅力 胸に刻む 県内の政界関係者らしのぶ
 12日に営まれた故中曽根康弘元首相の地元合同葬では福田康夫元首相(84)らが追悼の辞を述べた。内政や外交の各方面で戦後日本に大きな足跡を残した中曽根氏。それぞれが逸話を交えながら功績や人柄をしのび、遺志を継ぎ地元の発展に尽くすことを誓った。公的施設は半旗を掲揚し、県民にも追悼の思いが広がった。

 「良好とは言えなかった関係が一気に好転した。外交が指導者の志と魅力で変わることを示してくれた」。福田元首相が振り返ったのは、戦後の首相として初となった1983年の韓国公式訪問。相手国の規模にとらわれず信頼関係を築くという中曽根氏の外交姿勢を紹介した。

 中選挙区制時代に中曽根氏と競合した父の赳夫氏が政界引退後、「中曽根さんがいたから私がある」と語っていたと明かした。その後、中曽根氏が自らの支援者に康夫氏の支援を依頼した場面もあったといい、「生涯忘れられない光景で、今も鮮明に心の中にある」と懐かしんだ。

 小渕優子衆院議員(46)は、新型コロナウイルス感染症がもたらした困難を念頭に「世界が戦後最大の危機にある今こそ、中曽根先生の卓見を聞きたいのは私だけではない」と述べた。

 現役時代に多くの功績を上げ、政界引退後も自主憲法の制定を目指した中曽根氏。自ら定めた政治課題に心血を注いだ姿に「さっそうとして自信に満ちあふれた風貌はとても印象的で、まさに私たちにとっての金字塔」とたたえた。

 県議会の萩原渉議長(67)は中曽根氏から政治家としての心構えを学び、「絶えず勉強と経験を重ねることが人間の重みとして表れる」などの言葉を受けたという。「(中曽根氏は)永遠の目標だ。どんなに困難な状況でも平和で豊かに暮らせる郷土をつくるため、力を合わせて歩んでいく」と誓った。

 高崎市の富岡賢治市長(74)は、2012年に市役所で行った名誉市民顕彰式の様子を振り返った。詰め掛けた市民の多さに感動したといい、「式典で幼い頃の古里の自然を語る姿、母校の北小のマーチング演奏に聴き入る姿から深い郷土愛を感じた」と述べた。

 参列者の一人で、自民党県連内にかつてあった中曽根氏系の県議派閥「県政塾」で会長を務めた関根圀男元県議(74)は「政治家としての神髄などいろいろ教えていただいた。もっと長生きして群馬や世界のため頑張ってほしかった。残念な気持ちでいっぱいだが、本当に感謝している」と語った。

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