ベイシアグループ売上高1兆円 「より良いものをより安く」追求
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1959年に1号店として開店した「いせや伊勢崎店」
ベイシアグループの主な企業

 群馬県のベイシアグループの2019年11月~20年10月の総売上高が、1兆円を突破した。前身の「いせや」創業から61年目。いせや1号店の売り場面積が250平方メートル、従業員数が10人だったのに対し、現在は総売り場面積が236万平方メートル、従業員数は2万5000人にまで拡大した。吸収や合併をせずに独自成長を遂げてきたグループの軌跡をたどる。(丸山卓郎)

《低価格で成長》「より安く」調達効率化
 「人口も増え、所得も増え、需要は右肩上がりで伸び続けていた」。ベイシアグループ創業者でベイシア会長の土屋嘉雄さん(88)がこう振り返る1959年、グループ前身のいせやは産声を上げた。翌60年に池田勇人首相が「所得倍増計画」を打ち出すなど、日本は高度経済成長のただ中にあった。

■旧態依然
 土屋さんは江戸時代から続く呉服店に生まれ、埼玉・深谷商業高を卒業後、高崎市の服地専門店に修業に出された。そこで目の当たりにしたのは、旧態依然の商習慣にすがる小売業の実態だった。低い給与で朝早くから夜遅くまで働き、先輩社員が既得権を主張する「不合理、非効率な職場」だった。

 「小売業が、誰もが喜んで働きたくなる産業になってほしい」。こうした思いから27歳で創業したのが、洋品と服地の専門店のいせやだ。現在の「ベイシアIS伊勢崎店」(伊勢崎市中央町)の場所に1号店を構えた。

 しかし、客足は伸び悩み、初年度はその後の60年間を通じて唯一の赤字を計上した。

 ここで土屋さんが取り組んだのが、後にグループの経営理念となる「より良いものをより安く」の「より安く」だった。原価を引き下げるため、商品調達の方法を見直した。

■晩期商法
 まず実行したのが「晩期商法」で、問屋を回って売れ残り品を集め、格安価格で売った。さらに産地に出向き、現地の問屋から買い付けるようにした。東京で1100円するウールの服地が愛知では300円で買えた。

 商品を安く提供すると、客が一気に増えた。産地に近い方が安く仕入れられることは多くの経営者が知っていたが、実行する人は少なかった。商習慣にとらわれず、効率化を目指すという志が体現された瞬間だった。

 消費者は同じ商品なら安い方を買う―。不変の原理に基づき、人々の心をつかんだいせやは、高度経済成長の波に乗って業績を伸ばしていく。

《分社化で競争力》衣食住 専門店を集積
 洋品と服地の専門店として創業してから9年後の1968年。ベイシアグループ前身のいせやは住関連商品の取り扱いを始めた。71年には食品に広げ、衣食住をそろえた総合スーパー(GMS)としての業態を整えた。

 モータリゼーションによってカー用品が売れるようになり、高度経済成長に伴う所得向上で生活雑貨やレジャー用品も人気を集めた。いせやは業績を伸ばし、北関東に大型店を積極的に出店。競争の少ない地域で着実にドミナントエリアを形成していこうとした。

■草分け
 だが、間もなく戦略の変更を余儀なくされる。74年に大規模小売店舗法(大店法)が施行されたためだ。生活環境の保全や商店街の保護を目的に売り場面積の調整を求められ、大型店の出店は難しくなった。

 新業態として展開したのが、後のカインズとなる「いせやホームセンター」だった。78年に1号店を栃木県に開店すると、ホームセンターの草分けとして人気を獲得。初期投資が1億2000万円だったのに対し、初年度の売り上げは20億円近くに上った。

 後のカインズの1号店となる「いせやホームセンター栃木店」

 この後、80年に作業服のワークマン、83年にコンビニのセーブオン、84年に自動車用品のオートアールズと家電量販店のベイシア電器を相次いでオープン。それぞれを分社・独立させた。

■中型専門店
 中型の専門店を集積させ、大型店と同じ機能を発揮させることが狙いだった。これを突き詰めた形がベイシアモールやカインズモールで、暮らしに必要な商品を1カ所でそろえられるワンストップ機能は大きな強みとなった。

 さらに、分社化は各マーケットに柔軟に対応し、かつ責任を伴う経営を可能にした。ベイシアグループには、一般的な持ち株会社のように事業会社の経営方針を統括する機能はなく、経営は各社に委ねられている。

 群馬経済研究所の樹下芳久・研究部副部長は「各社が市場のニーズを的確に押さえている。単体でも優れているが、モールではさらに競争力が際立つ」と指摘する。

 同じグループにあっても、普段はそれぞれに研さんし、ときに競合さえも容認する。こうしたシビアさの一方で、ひとたび手を携えれば大きなシナジー(相乗)効果を生む。この二面性が、強さの底流にあると言えそうだ。

《スーパーセンターで急成長》郊外出店で車社会に対応
 「エブリデイ・ロー・プライス(毎日低価格)」―。ベイシアが国内チェーンストアの中で最も早くから取り組んできた価格政策だ。もとは米流通大手のウォルマートが打ち出した手法で、価格を変動させる「ハイ・ロー・プライス(特売)」に対し、「いつ行っても安い」のが特徴だ。

■ワンフロア
 低価格を維持するには徹底した低コスト経営が必要だが、ウォルマートが始めた新業態「スーパーセンター」(SuC)を取り入れて解決を図った。売り場を1万平方メートル規模のワンフロアとし、集中レジで一括会計するようにした形態で、多層階店舗と比べて大幅に運営を効率化できた。

 2000年に大型店を規制する大規模小売店舗法(大店法)が廃止されると、同年に渋川こもち店(渋川市吹屋)をSuCの1号店としてオープン。現在は46店舗を展開する。

 スーパーセンター1号店の渋川こもち店=14日

 1990年代以降、ユニクロやニトリなど低価格帯の専門店の台頭や、イオンやスマークなどの大型ショッピングセンター(SC)の進出で、従来型の総合スーパー(GMS)は苦境に立たされた。国内でGMSを最初に展開したダイエーは94年に高崎店、99年に前橋店を閉店した。

■郊外出店
 苦戦するGMSの多くが駅前の多層階店だったのに対し、ベイシアは郊外出店を加速させた。フロア間の移動などの手間がなく、広い平面駐車場を持つSuCはクルマ社会の北関東で支持され、急成長の原動力となる。

 「イトーヨーカドー前橋店」と「前橋サティ」が店を畳んだ2010年、ベイシアは出店100店舗を達成。売上高は00年から消費増税前の13年までの間に3倍に増えた。

 同社の橋本浩英社長(59)は「SuC導入が現在のベイシアの土台となった。ライフスタイルにマッチし、お客さまの豊かさを実現できる唯一の業態だった」と振り返る。

 一方、カインズは1994年に開店した国内最大級の「スーパーホームセンター伊勢崎店」を皮切りに店舗の大型化を推進、業界最大手に成長していく。ワークマンはフランチャイズ方式で全国に店舗を広げ、低価格と高機能でプロ向け市場を席巻していった。

《低価格+α》プライベートブランド 機能と見栄え良く
 「インスタ映え」を狙って店頭に設置されたピンク色のブランコが、メルヘンな雰囲気を演出する―。10月に横浜市内の商業施設にオープンした「#ワークマン女子」。ベイシアグループのワークマンによる新業態店で、男女兼用を含め商品の6割が女性向け、そのほとんどが自社で開発したプライベートブランド(PB)商品だ。

 ワークマンが新たに展開する「#ワークマン女子」の1号店=10月、横浜市

 同社は作業服市場の飽和が近いとみて、一般客の取り込みを進めてきた。アウトドア・スポーツウエアの開発に注力し、優れた機能性とデザイン性を低価格で実現。売り上げに占めるPB商品の比率は5割を超えるまでになった。担当者は「高機能な商品を安価に提供できている点が評価されている」と胸を張る。

■SPA宣言
 長引くデフレに加え、グローバル化やネット通販の台頭による競争の激化で、安さは当たり前になり、使いやすさや見栄えといった付加価値が求められる時代になった。グループは「より安く」を維持したまま、「より良い」商品を提供できるSPA(製造小売り)へとかじを切った。

 カインズは2007年に「SPA宣言」を発表し、PB商品の開発を推進。生活を便利にするためのひと工夫が施されたキッチン用品や掃除用具は、12年から9年連続で「グッドデザイン賞」を受賞している。ベイシアも、厳選した酪農家の生乳だけを使った牛乳などが人気を集める。

■出店戦略
 社会構造の変化は、出店戦略にも影響を及ぼしている。ベイシアが18年に開店した勝浦店(千葉県)は、スーパーセンター(SuC)の形態を取りつつも売り場面積は約5000平方メートルと、従来の半分程度に縮小。高齢化した消費者にとって広過ぎる店舗は逆に不便になりつつあり、「コンパクトSuC」と位置付けて展開を模索する。

 「企業は常に変化し、革新し、挑戦し続けなければならない」。創業者の土屋嘉雄さんは、創業55周年を記念して発行した書籍で挑戦することの大切さを繰り返し説き、「コンスタント・チェンジ(絶えざる変化)」の重要性を訴えた。

 衣食住の総合化に専門店の分社化、SuCへの業態転換―。グループの歴史は、まさに変革の連続だった。グループが掲げる「より良いものをより安く」の追求に終わりはなく、挑戦は続いていく。

《展望》「尖り」生む企業体に 土屋裕雅カインズ会長
 ベイシアグループ創業者でベイシア会長の土屋嘉雄氏は2019年にカインズとワークマンの会長を退任し、経営の第一線から身を引きつつある。後を継いでグループのかじ取りを担うのは、長男でカインズ会長を務める土屋裕雅氏(54)。電子商取引(EC)の普及などで競争が激化する小売業界において、グループの未来をどう描くのか。戦略を聞いた。

 ベイシアグループの展望を語る土屋裕雅氏

―売上高1兆円を達成した今、次の目標は。
 まだ決めていない。普通なら3兆円とか5兆円とか言いそうだが、売上高だけを追い求めて“膨張”になってしまっては意味がない。顧客満足度など別の指標があっても良いのかなと思う。

―グループをどう運営していくか。
 分社経営による「遠心力」で伸びてきた。基本的な理念は共有しつつ、各社がそれぞれの市場で「とがった経営」ができる企業体にしたい。買い物額に応じたポイントシステムなどは共通のプラットフォームを作りたいと思うが、使うか使わないかは各社に任せる。

―出店戦略は。
 ベイシアやカインズは店舗の大型化を進めた時期があったが、時代に合わせた適正規模の見直しは必要で、傾向としては小型化していくだろう。弱かった都心部へのアプローチを考える上でも、小型店はECと並んで有効な手法となる。

―「IT小売業」を掲げるカインズを筆頭に、デジタル対応を進めている。
 カインズでは (1)ストレスフリー (2)パーソナライズ (3)コミュニティー (4)エモーショナル―の四つの観点からデジタル化を進める。商品を検索すると売り場が分かるアプリや、ネットで注文して店舗のロッカーで受け取れるサービス、ウェブでターゲットを絞った発信ができるオウンドメディアなどを始めている。

―群馬への思いは。
 成人してからいろんな所に住んでいるが、今も群馬で生活していた頃を思い出す。住みやすく人情味があり、観光資源も豊富なのに、ブランド力の調査で下位になっているのを見るともったいないなと思う。先日、カインズによるザスパクサツ群馬への出資を発表させてもらった。創業地で僕自身のふるさとでもある群馬を盛り上げていきたい。

―グループのかじ取りを受け継ぐ。
 創業の理念を引き継いだ多くの方々がいたからこそ、グループは成り立っている。そこを尊重しつつも「この業態にいれば成長する」という時代ではなくなっていることも事実だ。各事業会社の「尖り」を生み出す企業体をつくっていきたい。それが今まで応援してくれた皆さまへの恩返しにつながると思っている。

《略歴》つちや・ひろまさ
 1966年、伊勢崎市生まれ。前橋高―早稲田大商学部卒。野村証券を経て、96年にいせや入社。2002年にカインズ社長に就任し、19年から現職。

 【メモ】 ベイシアグループは、スーパーのベイシア、ホームセンターのカインズ、作業服のワークマンなど28社で構成。46都道府県に1904店舗を展開し、国内小売大手の一角を占める。

 ベイシアグループの売上高の推移

 いせやは1996年、企業イメージを統一するCI(コーポレート・アイデンティティー)の一環で店名を「ベイシア」に変更。97年にいせやを引き継いで「ベイシア」を設立した。ラテン語で良いという意味の「bene」と「iseya」を組み合わせた。

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