《老舗のDNA 群馬の百年企業》半世紀超にわたり新鮮な食材届けて フレッセイ(群馬県前橋市力丸町)
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北関東で初めてスーパーマーケット事業に参入し県民の食卓を支えてきたフレッセイの本社(右)と物流センター(手前)
「セルフサービスの店 松清」の1号店(提供)
充実した品ぞろえで食卓を支えるフレッセイの店舗=4月、前橋市

◎いち早くスーパーに

 夕食用とおぼしき食材でいっぱいになった買い物かごを抱えた客が、レジに並ぶ。4月のある日の夕方、フレッセイ元総社蒼海店(前橋市元総社町)での光景だ。

 客自らが商品を選び、集中レジで会計するセルフサービス方式を特徴とした「スーパーマーケット」は戦後に普及し、今では生活に欠かせない存在となった。北関東初のスーパーを1958年に同市内に開店したフレッセイ(同市力丸町)は、半世紀以上にわたって新鮮な食材を県民に届け続けてきた。

江戸期に海産

 創業は、記録に残る限りで江戸後期の1850(嘉永3)年にさかのぼる。内陸でも海産物が食べられるようにと、植木威行社長(50)に連なる植木家が、竪(たつ)町(現在の同市千代田町)で始めた塩干物の卸小売業「松葉屋」が発祥だ。

 明治期に立川町(同)に移転する際に、当時の当主の清吉(せいきち)が屋号を「松清(まつせい)」と改称。8代目の英吉が1950(昭和25)年、株式会社「松清本店」を設立した。この頃には「前橋一の水産物小売店」として名が通り、前橋赤十字病院などにも商品を納めた。

 スーパーマーケットは紀ノ国屋が53年、東京・青山に日本初の店舗を開店。いなげや(56年)やスズキヤ(57年)などがこれに続いた。こうした中で英吉は、レジメーカーの担当者に勧められて先行事例の研究に着手、熟慮の末にスーパーへの業態転換を決意する。

 英吉の孫に当たる威行社長は「祖父は非常に慎重な性格で、市場調査に2年間を費やしたと聞いている」と話す。決め手となったのは、「仕事を通じて人が成長できる場を提供したい」との思いだったと伝わる。

 鮮魚店だと、ある人は一生魚をさばき続けないといけないかもしれない。だが、多店舗展開を前提とするスーパーには異動があり、店長なども必要になる。そこには人間としての成長があり、個人の幸福と企業の成長につながる―。「従業員の成長を願う思いは、私どもの創業の精神の一つだ」(威行社長)

目新しさ人気

 こうして開店したのが「セルフサービスの店 松清」で、現在の前橋中央駐車場(同市千代田町)の一画に店を構えた。海産物のほかに袋菓子やうどん、紅茶など幅広く商品をそろえ、目新しさや便利さから瞬く間に人気が広がった。

 開店時に70平方メートルだった店舗は増築を重ね、60年には倍以上の160平方メートルに拡大。年間売上高は63年に1億円を突破した。日中は店の前に人だかりができ、客が置いた自転車の整理が悪いとして近所や警察から苦情が来るほどだった。

 こうして経営体力を付けた松清本店は、66年オープンの大橋店(同市紅雲町)を皮切りに多店舗展開を開始。前橋の中心部から同心円状にドミナント化を進めていった。(丸山卓郎)

◎挑戦するが無謀せず

 「挑戦はするが、無謀はしない。それが父と祖父の経営信条だった」。1958年に前橋中央通りに開店した1号店でスーパー事業を軌道に乗せたフレッセイ(前橋市力丸町)の前身、松清本店。66年以降、1号店周辺に毎年ほぼ1店舗のペースで出店を重ね、70年には3キロ圏内に7店舗を展開した。

鉄則守り出店

 「市街地で商圏人口が多く、店舗間の相乗効果により知名度向上や販促活動の効率化が見込める。チェーンストアの鉄則を守り、しっかりと地盤をつくっていった」。植木威行社長(50)は、初期の店舗展開に先代の堅実な経営姿勢を見る。

 初代社長の英吉は47歳で早世し、妻の澄枝が後を継いだが、62年に同業他社での修業を終えた長男の敏夫氏(2019年死去)が戻り、実質的な経営を担った。72年から03年まで社長を務めた敏夫氏は財務規律に厳しく、自己資本比率を高い水準で維持することを徹底した。

 1990年に長崎屋から県内の店舗を譲受した際も、借り入れに頼らずに増資を中心に資金を調達した。「スーパーを始めた頃は業者の不正などで収支の帳尻が合わないこともあった。そうした苦労をしていた父(敏夫氏)の財務に対する目の光らせ方は厳しく、安定的な経営の礎になった」(威行社長)

 前橋で経営モデルを確立すると、70年代に高崎、桐生、館林など他の地域へ展開。それとともに店舗の大型化と郊外出店を進め、この頃に前橋市内に出した片貝店や白川店の店舗面積は千平方メートルに達した。

 モータリゼーションが進展する中、広い駐車場を備え、商品構成を充実させた郊外の大型店は「ワンストップ・ショッピング」を求める消費者のニーズに合致。店側はより広範囲から集客でき、車に積んで帰れることから購入点数が増えるメリットもあった。

食品に特化

 商品構成の拡充には、共同仕入れを行うCGCグループに加盟したことが役立った。73年に起きた石油危機によるトイレットペーパーの在庫不足を解消するために74年に加盟したが、缶詰やジャムなどの輸入食品も優先的に供給を受けられるように。食品に特化したスーパーとして、衣食住全般を扱ったGMS(総合スーパー)との差別化に成功する。

 敏夫氏の弟で相談役の康夫氏(73)は「他の加盟店と情報交換や切磋琢磨(せっさたくま)ができるようになったことも大きかった。CGC加盟が成長の原動力になった」と振り返る。

 店舗はその後、大型店の出店を規制した大規模小売店舗法(大店法、74年施行)の影響を受けつつも、長期的には大型化の道をたどる。そして79年、同社初のNSC(近隣型ショッピングセンター)として「フレッシュモール広瀬」が前橋市内に開店する。店内外に靴や生花の専門店、ハンバーガー店が入り、若者や家族連れに客層を広げた。

 99年開店のフォリオ駒形店(同市)以降は、駐車場の周りにテナントを配置した本格的なオープンモール形式のNSCを採用。目的の店舗の近くに駐車して短時間で買い物ができるとして消費者の支持を獲得し、現在に至るまで同社の主力業態となっている。(丸山卓郎)

◎食通じ幸福な生活を提供

 県央から西毛、東毛、北毛へと店舗網を広げ、売上高が400億円を突破した1992年、松清本店は社名をフレッセイに変更する。「fresh」(新鮮な)と「say」(言う)を組み合わせ、「新鮮さを表現していく」との決意を込めた。

 県央から西毛、東毛、北毛へと店舗網を広げ、売上高が400億円を突破した1992年、松清本店は社名をフレッセイに変更する。「fresh」(新鮮な)と「say」(言う)を組み合わせ、「新鮮さを表現していく」との決意を込めた。

合従連衡の波

 当時流行したCI(企業イメージの確立)の考え方のもと、赤、緑、青の3色でそれぞれ太陽、大地、水を表したロゴマークも制定。衣食住をくまなく扱うGMS(総合スーパー)が存在感を増す中、食品志向をより明確に打ち出した。

 90年代に大規模小売店舗法(大店法)の緩和が進むと、新規出店や建て替えで店舗の大型化に着手。97年に栃木県佐野市に出店して県外初進出を果たし、98年にいなげや(東京都)から県内店舗の営業譲渡を受けるなど、業容拡大を続けた。

 一方でこの頃から、経営不振に陥ったマイカルやダイエーをイオングループが傘下に収めるなど業界再編の動きが加速する。2011年には北海道最大手のアークスが青森県地盤のユニバースを経営統合し、地方スーパーにも合従連衡の波が押し寄せた。

 09年に現職に就いた植木威行社長(50)は13年、新潟県地盤の原信ナルスホールディングス(統合時にアクシアルリテイリングに社名変更)との経営統合を決断する。

 「会社がレベルアップするには、より優れた企業風土を取り込む必要がある。独自性を保ちながら画期的に変化を起こせる手法が経営統合だった」。当時のフレッセイは家族的な温かさがある一方、物事を徹底する力が欠ける側面もあった。

 「システマチックに物事を進める、うちとは対極的な社風と感じていた。近隣ながらエリアが重複せず、物流や商品調達面のメリットもあった」(植木社長)

 原信ナルス側のノウハウを活用し、16年には前橋市力丸町の本社北側に新たな物流拠点「前橋物流センター」を稼働。スケールメリットを生かして経費削減を進め、統合直後は年間2億円前後、20年3月期決算でも6千万円のコストカットを果たした。

コロナで使命感

 20年に国内での流行が本格化した新型コロナウイルス感染症は、フレッセイにも大きな影響を与えた。内食や中食需要の高まりで売り上げが伸び、21年3月期決算は過去最高益となった。

 一方でコロナ禍は生活必需品を提供するスーパーの存在を一層際立たせ、従業員が「エッセンシャルワーカー」としての使命感と誇りを再認識するきっかけにもなった。

 どんな状況でも変わらず商品を提供し続ける―。経営信条の一つに「不易流行」を掲げる植木社長は「食を通じて幸福な生活を提供していくという考えだけは絶対に変えてはいけない」と強調。「『生活者に喜ばれることがうれしい』と思える集団である限り、地域に必要とされる会社であり続けられる」と力を込めた。

消費動向対応の170年

 終始順調だったようにも見えるフレッセイの歴史は、決して成功ばかりだったわけではない。ホームセンターや飲食店運営、自動車販売など挑戦したものの手を引いた事業も多い。

 「私が軽々しく『何事もなく順調だった』などとは言えない。父や祖父にはいろいろな苦難があったはずだ」。植木威行社長の言葉が印象に残る。淡々とした口調ではあったが、老舗を背負って立つ経営者の気概と覚悟がにじんでいた。

 次々に移り変わる消費動向に必死に対応してきた結果が、170年余の歴史にほかならないのだろう。電子商取引(EC)が普及し、流通業界は再び大きな転換期を迎えている。フレッセイがこの先どう変わっていくのか、楽しみにしたい。
(丸山卓郎)

企業データ
 ▽本社 前橋市力丸町
 ▽会社設立(法人化) 1950年
 ▽従業員数(3月末時点)
 4871人(うち正社員750人)
 ▽店舗 群馬、埼玉、栃木の3県に計51店
 ▽事業内容 スーパー「フレッセイ」の運営

企業年表
 1850年 塩干物の卸小売「松葉屋」を創業
 1950年 株式会社「松清本店」を設立
  58年 北関東初のスーパー「セルフサービスの店 松清」開店
  66年 多店舗展開を開始
  80年 本社を前橋市力丸町に移転
  84年 同社として最大規模のSSM(スーパー・スーパーマーケット)となる荒牧店を開店
  92年 CI(コーポレート・アイデンティティー)を導入し社名を「フレッセイ」に変更
  96年 NSC(近隣型ショッピングセンター)として「フォリオ」の展開を始める
 2004年 新しいコンセプトの「クラシード若宮」を開店
  13年 原信ナルスHDと経営統合しアクシアルリテイリンググループに
  16年 前橋物流センターが稼働

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