福田赳夫氏の理念に迫る 初の本格評伝が25日に出版 独自の視点で論証 未公開資料で新事実
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首相就任の県民祝賀会であいさつする福田赳夫氏(中央)。左は長谷川四郎建設大臣(肩書は当時)、赳夫氏の右は清水一郎知事(同)=1977年4月10日、前橋市の県庁
「評伝福田赳夫」の表紙

 群馬県選出で初の首相となった故福田赳夫元首相(1905~95年)について、初の本格的な評伝となる「評伝福田赳夫」が25日、岩波書店から出版される。赳夫氏を知る記者や秘書官に研究者が加わり、8年間にわたって共同研究した内容をまとめた大著で、防衛大校長などを歴任した五百旗頭(いおきべ)真氏(77)が監修した。「福田メモ」と呼ばれる大量の備忘録を長男の康夫元首相(84)の協力を得て活用したほか、未公開資料やインタビューで新たな事実を掘り起こし、赳夫氏の戦後政治における役割を再検証した。

 執筆は毎日新聞社政治部時代に福田番として取材した元下野新聞社長の上西朗夫氏(81)、赳夫氏が経済企画庁長官を務めた際の秘書官としてその政策策定を支えた開発政策研究機構理事の長瀬要石氏(83)、政治史が専門の成蹊大教授、井上正也氏(41)。2013年から研究会の会合を開き、共同執筆した。

 数々の証言や福田メモを活用し、独自の視点で論証した。戦後政治における役割を再検証する中で、従来のイメージとは異なる赳夫氏の姿を明らかにしている。

 政局を巡っては1978年、赳夫氏が大平正芳氏と争って「大福対決」と呼ばれた自民党総裁選で、赳夫氏と大平氏の間に2年で政権を交代する密約が結ばれていたとされる従来の見方について反証。密約文書は偽造されたもので、大平陣営からの情報戦の一環だったと指摘した。これまで大平氏や田中角栄氏に偏りがちだった戦後政治史研究に一石を投じ、派閥の解体と同党の近代化を一貫して目指した赳夫氏の政治理念を掘り下げた。

 外交面では60年代に佐藤栄作政権下で蔵相や外相を務め、経済大国としての日本外交を築いた過程を明らかにした。日本の経済繁栄は世界の繁栄なくして成立しないことや、日本が国際社会に対して非軍事的側面で相応の責任を果たすべきだという信念が、後の「福田ドクトリン」や「全方位平和外交」につながったと指摘。従来の右派、タカ派のイメージとは異なるリベラルな実像に迫った。

 経済政策を巡っては、赳夫氏が50~70年代に一貫して日本経済の安定成長を模索したことを解説。その手腕により日本の持続的な経済成長が実現したことや、蔵相として2度の経済危機を克服したことなどを詳述した。

 監修を担当した五百旗頭氏は上毛新聞の取材に、福田メモという貴重な一次資料を活用して、本格的な評伝が出版されることの意義を強調。「日本経済という患者の脈を取って、福田赳夫ほどその都度的確な判断ができた人はいない。戦後の経済財政政策における最良の医師だった。政策の勝者でありながら政争の敗者となったが、金権政治の否定などの一貫した主張は、歴史がその正しさを裁定している」と話した。

 A5判、708ページで税込み5280円。(関口健太郎)

◎政治人生の筋道 記録

福田康夫氏談

 父福田赳夫にとって初の本格評伝となる本書について五百旗頭真さんからお話があった時、私は客観的な事実に基づく正確な記録を作ってほしいという思いから、でき得る限りの資料を提供することを決めた。

 事実だけが記された本書は、戦後日本の政治、経済、外交の重要政策を担った父の、一貫した政治人生の筋道が分かる学術的な記録集といえる。生涯貫き通した「公のために尽くす」という信念は、まさに上州人の気質そのものだ。現在の政治がどうあるべきか学んでもらうためにも、若い政治家に読んでほしい。

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