《老舗のDNA 群馬の百年企業》牧野酒造(高崎市倉渕町権田) 郷土史の逸話に名刻む
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創業331年の牧野酒造
1860年4月、遣米使節団がワシントン海軍造船所を視察した際の写真。前列右から2人目が小栗上野介(東善寺提供)
2020年の酒類鑑評会で最優秀賞の「大盃」

 1690(元禄3)年創業で、現存する造り酒屋としては県内最古の牧野酒造(高崎市倉渕町権田)。2020年には主力銘柄の「大盃(おおさかずき)」が、関東信越国税局主催の第91回酒類品評会純米酒の部で新潟などの酒どころを抑え、最優秀賞に輝いた。17代目の牧野茂実社長(70)は「時代に合わせて変わり続けてきたから今がある」と語る。(寺島努)

◎三河牧野氏
 牧野酒造の歴史は、文献などが残っておらず、詳しいことは分からない。牧野家の出自についても諸説あるが、現在の愛知県豊川市牧野町発祥で、江戸期に大胡藩(前橋市)や越後長岡藩(新潟県長岡市)の藩主などを輩出し、「常在戦場」の家訓でも知られる三河牧野氏の流れをくむとする見方が有力という。少なくとも明治大正期ごろまでは鎧(よろい)や槍(やり)が伝わっていた。

 牧野酒造の当主は江戸中期まで代々「牧野長兵衛」を襲名。「ちょうべえ」や「ちょうへえ」と読んだ。酒の銘柄は「長盛(ちょうせい)」としていた。

 倉渕地区は道祖神の宝庫として知られる。市の重要有形民俗文化財である「長井の道祖神」には元禄5年の年号とともに「牧野長兵衛」の名が刻まれている。牧野酒造や市などによると、初代・長兵衛が建立したという。

◎小栗との縁
 牧野酒造の所在地が江戸幕府の旗本、小栗家の領地だった縁で、江戸末期の幕臣で勘定奉行などを務めた小栗上野介とも縁が深い。

 主力銘柄の大盃の名は、小栗が遣米使節の一員として渡米した際に随行した、牧野家の親戚筋の佐藤藤七に由来する。彼の帰国を記念し、大きな盃で祝杯を上げたことにちなんで名付けられた。牧野酒造にほど近い東善寺には、小栗の墓や功績を伝える資料が残る。

 江戸期の任侠(にんきょう)、国定忠治との関わりもある。関所破りなどの重罪で捕らえられた忠治は、現在の東吾妻町の大戸関所に移送され、磔刑(たっけい)に処されることになった。一時的に身柄を預けられたのが当時の富豪で「上州三大尽」の筆頭、加部安左衛門の屋敷。屋敷には牧野酒造の酒が配給されており、忠治が“末期(まつご)の酒”に飲んだとされる。

 牧野社長は「証拠や文献があるわけではないが、当時の状況を積み重ねて推理すれば、確かにそんなこともあったかも知れない」と笑う。郷土史の知られざる一ページに牧野酒造はその名を刻む。

 明治期には絹相場で経済的に困窮した親戚を助けるため、牧野家は5年ほど別の場所に移り住んだこともあった。しかし14代目の賢吉が寸暇を惜しんで働き、代々の家屋敷を取り戻したという。この出来事を教訓に、彼は子孫に質素倹約などの教えを残している。

【企業データ】
 ▽所在地高崎市倉渕町権田
 ▽会社設立(法人化)1953年
 ▽従業員数14人
 ▽事業内容日本酒製造・販売

1690年 初代・牧野長兵衛が造り酒屋を始め、銘柄を「長盛」に。10代目くらいまで当主は長兵衛を襲名する
1851年 国定忠治が磔刑(たっけい)に処される
 60年 牧野家の親戚が小栗上野介に随行して渡米。帰国後に大きな盃(さかずき)で祝杯を上げたことにちなんで主力銘柄を「大盃」と命名
1953年 株式会社化
2003年 関東信越国税局の酒類品評会「吟醸酒の部」で、現存する県内酒蔵として初めて最優秀賞に選ばれる
10年ごろ オーストラリアへの輸出を開始。以降、輸出先を拡大
 20年 同品評会「純米酒の部」で最優秀賞に選ばれる
 21年 創業330年記念酒が完成

伝統を武器に世界へ


 これまでに数々の賞に輝いた牧野酒造(高崎市倉渕町権田)の銘柄「大盃(おおさかずき)」。2020年は第91回酒類鑑評会(関東信越国税局主催)の「純米酒の部」で最優秀賞を受賞し、関東信越6県(群馬、茨城、栃木、埼玉、新潟、長野)の酒蔵の頂点に立った。牧野酒造は03年にも最優秀賞、19年は特別賞に選ばれている。昨年の純米酒は吾妻郡内で栽培した酒造好適米「玉苗」で仕込んだという。

◎戦略
 18代目の牧野顕二郎専務(43)は東京農大で酒造を学び、今や牧野酒造の柱だ。受賞について「関東信越地区は新潟や長野もあり、酒のレベルは全国屈指。そこで認めていただけたことが本当にうれしい」と振り返った。

 今年3月には創業330年記念の純米大吟醸酒「大盃 牧野長兵衛」を完成させた。「吟醸造り」と酒蔵の自然の乳酸菌で発酵させる「生?(きもと)造り」を融合させ、酸味と甘味のバランスが取れた味わいになった。

 シャンパングラスに見立てた瓶と盃をきり箱に収め、クラウドファンディング(CF)で周知を図る。「これからのマーケティングを考えたとき、当社の伝統は武器になる。それを全面的にPRする日本酒を造りたかった」と狙いを話す。

 デザインで工夫し、客層を開拓した事例もある。10年ほど前には県マスコットのぐんまちゃんのデザインをプリントした「ぐんまちゃんカップ」を発売。普段は日本酒を飲まない若い女性が土産として買っていくなどヒットした。「日本酒を飲む層はアルコール人口の5%ほど。残りの95%にアプローチするきっかけになればと思った」という。昨年は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、疫病退散に御利益があるとされる妖怪「アマビエ」デザインのカップを投入。製造分を売り切る好調ぶりだった。

◎海外市場
 海外での日本食ブームを受け、牧野酒造も積極的に輸出に取り組む。10年ほど前からオーストラリアへの出荷を始め、ドイツやイタリア、カナダ、シンガポールに進出。中国にも輸出実績がある。今年5月には新規開拓先となるフランスの事業者とオンライン商談会を実施した。

 17代目の牧野茂実社長(70)は「日本酒が世界中で飲まれるようになるとは」と驚く。日本酒はコメを原料とし、でんぷんの糖化とアルコール発酵が同時に進む「並行複発酵」と呼ばれる醸造法が特徴で「このような技術は外国にはない」と胸を張る。インターネットの普及で日本にいながら海外のバイヤーと商談ができる環境ができ、「私らみたいな小さな造り酒屋には追い風」と話す。

 「日本酒は、これからも時代に合わせて変わっていかないといけない」と顕二郎専務。7月にはパスタに合う3種の日本酒を発売する。「イタリアンと日本酒の組み合わせが広がれば、販路拡大のチャンス。いずれはイタリアにも売り込みたい」と意気込んでいる。

【取材後記】変わり続けた歴史
 「それは最近の話だからね」。牧野酒造と小栗上野介との縁について尋ねた時の牧野茂実社長の言葉が印象に残る。331年の歴史からすれば、1860年は「後半」の出来事だろう。国定忠治との関わりも含め、逸話には事欠かない。

 牧野社長も顕二郎専務も「時代に合わせて変わり続けることが必要」と口をそろえる。数々の受賞歴は戦後すぐの時期から近代化を進めてきた結果といえる。「酒造りの技術は日々進歩している。われわれが飲んでいる酒は昔より格段においしいよ」。その言葉をかみしめ、歴史に思いをはせながら今夜あたり一献傾けたい。

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