《老舗のDNA 群馬の百年企業》平方木材(前橋市天川大島町) 荒波越えて木と生きる
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昭和初期、本社前に集まる従業員ら(提供)
前橋市天川大島町の木工団地に移転して間もない頃の平方材木店=1965年ごろ
平方木材の今後について語る平方社長(左)と長男の貞之氏

 木の香りが漂う平方木材(前橋市天川大島町)の工場。コンピューター制御された最新鋭の加工機が木材を切り、建物の骨組みを作る「プレカット」の工程が進む。木材商に始まり、木材問屋、プレカット事業者、そして総合住宅資材業へ。業態を変えながらも「木を活(い)かし、木と生きる」を基本理念に掲げ、社業を発展させている。(宮村恵介)

■順風満帆

 伊香保温泉街が遠目に見える渋川市(旧小野上村)小野子の山あいの家に、平方木材のルーツがある。山持ちで、代々名字を許されていた平方家の三男として生まれた嘉平は独立を志し、10代で前橋の木材業に奉公に出た。

 頭の切れる働き者だった嘉平は、たちまち商売のイロハを身に付けたと伝わる。1900(明治33)年には、前橋市中心街の弁天通りを抜けてすぐの小柳町(現在の同市住吉町)に平方材木店を開業した。広瀬川沿いには多くの製糸場が並び、街は活気にあふれ、木材需要も事欠かなかった。

 「実家が林業を営んでいたので、仕入れ先は確保できていた。商売は順調だったのだろう」と4代目の平方宏社長(67)は思いをはせる。

 嘉平は木材の仕上げ加工をしながら、大工などへの小売りをした。間もなく製糸業を営む岡部伝平の娘、そめと結婚。嘉平は前橋市議会議員を3期務めるなど公職にも忙しく、留守の間は帳簿にも長けたそめが職人を取り仕切り、二人三脚で店を発展させた。順風満帆のように見えたが、34年、嘉平が急逝する。

■空襲で再始動

 店は当時29歳の長男、貞雄が継いだが、戦争の影が色濃い時代。木材業界も統制されて個人営業は許されなくなり、貞雄は「県地方木材株式会社」の前橋出張所長を務めるなどしたという。

 45年の前橋空襲で店舗も住宅も焼かれ、ゼロからの再始動となった。親類の縁を頼って47年には小野上村に新たに製材所を設け、小柳町を本店として再起を図った。ちょうど戦後の復興期。木材は飛ぶように売れ、家業は拡大していった。

 53年には貞雄の一人娘の初枝が、安中出身の力(つとむ)を夫に迎えた。力は高崎中(現高崎高)から群馬師範学校(現群馬大)、明治大を経て日本鋼管(現JFEホールディングス)に勤務した。真面目で誠実な性格だったという。

 当時は製材工場から週1、2回、トラックで運ばれてきた材木を本店に並べ、得意先にリヤカーを使って配達。まさに「個人商店」の様相だった。

 貞雄は55年、戦前に続いて前橋市議会議員に当選。清水一郎元知事ともじっこんの間柄となり、後に群馬ロイヤルホテル社長や県公安委員長も務めることになる。

 対外的に忙しくなった貞雄に代わって、力が実質的に店を取り仕切るようになった。新しい指揮官を得た平方材木店は、高度成長期を迎えた日本経済とともに発展していく。

【企業データ】
▽本社 前橋市天川大島町
▽会社設立(法人化)1952年
▽従業員数 約80人
▽事業内容 プレカット木材の販売、建築資材・工事関連サービスの提供、中大規模木造施設の建設

1881年 初代平方嘉平が渋川市(旧小野上村)で誕生
1900年 前橋市住吉町(旧小柳町)で平方材木店創業
 34年 嘉平急逝。長男貞雄が継ぐ
 45年 前橋空襲で小柳町の店舗が全焼
 47年 小野上村に製材工場設立
 53年 3代目となる力が貞雄の長女、初枝の夫となる
 63年 前橋市天川大島町の木工団地に拠点を移す
 70年 日栄住宅資材前橋木材市場に入り問屋業を開始
 76年 3代目力が社長就任。社名を平方木材とする
 92年 4代目宏が社長就任
 93年 プレカット工場を新設
2003年 第二工場建設
 18年 新工場と倉庫を建て、プレカット工程を集約

◎時流を捉え販路開く 問屋業に進出


 高度経済成長期にビル建設現場の足場需要を取り込み、平方材木店は活況を呈した。小野上村(現渋川市)の製材所では生産が間に合わずに思案していたころ、前橋市初の工業団地として東前橋工業団地造成の話が持ち上がった。前橋市議だった2代目の平方貞雄の尽力もあり、市内の木工関係の四十数社がまとまって同市天川大島町の同工業団地に移り、「木工団地」が誕生した。

■問屋業に進出

 平方材木店も2千平方メートルの用地を取得し、製材工場を設けて1963年10月に同所に移転した。業績の向上に合わせて周辺の土地も購入し、5年後には1万5千平方メートルにまで広がった。製材業も手掛けるようになり、取扱品目が増えたことで商売の幅は広がった。

 3代目の力(つとむ)は生前、上毛新聞の取材に、貞雄が経営に口を挟まなかったとし「思いのままにさせてくれたのが自分には良かった」と語っている。

 木材流通量の増加に伴って69年、日栄住宅資材(現ナイス)が同市下大島町に材木市場を開設した。日栄の誘いで平方材木店は70年に市場内に営業所を設け、木材業者相手の問屋業への進出を果たす。問屋となったことで事業エリアは群馬から一気に広がり、全国から集荷した製品を県内のほかに埼玉や栃木、新潟の木材業者に販売した。売上高は一気に3倍に跳ね上がった。76年には社名を平方木材と改め、力が社長に就いた。

 日栄で材木取引を学んでいた4代目の宏氏(67)は、80年に平方木材に入社した。販売機能を強化するため、同社は同年9月に静岡県沼津市の市場に進出。宏氏は営業所に自ら赴き、日栄での経験を生かした。

 宏氏は「右肩上がりの時代で仕入れれば売れる時代だった。88年には宇都宮市に進出し、三重や青森など木の産地を歩いては、仕入れて販売する毎日だった」と振り返る。

 順調だった問屋業だが、住宅需要が一巡した80年代半ばをピークに売り上げは減少する。外国産材の輸入量が増え、流通も商社や生産者から大手建設業者に直接渡るようになった。少し前まで値段がどんどん上がった競りにも活気がなくなり、応札がないことも増えていった。

■プレカット工場

 「このままではじり貧になる」。時代の流れを感じ取った宏氏は、構造材や補強材をあらかじめカットして現場に届けるプレカット工場の建設を決断する。社長就任から1年後の93年、工場が完成した。

 プレカットでは後発だったため、機械加工の後に大工が仕上げを担い、建築現場での手作業をなるべく省くなど工務店の「かゆいところ」に手が届く仕事を心掛けた。

 宏氏は「工務店には初めは仕事が奪われるとして追い返されたが、建物の引き渡しのペースを上げられることを徐々に理解してもらえるようになった」と振り返る。平方木材には材木をよく知る社員が多く、品質が高かったことも顧客の信頼につながったという。

 プレカット工場の生産能力は、当初は月に約30棟だったが、現在は約120棟に増強されている。2018年には3次元(3D)のコンピューター利用設計システム(CAD)を入れたことで複雑な建物の設計ができるようになり、データを加工機に直接送れるようにしたため、生産効率も向上している。

◎「木活かし」地元貢献


 「プレカットのために設計図面を預かっている。1カ所で資材がそろえば、お客さんも便利になる」。プレカット工場の操業が安定した1990年代後半。平方木材(前橋市天川大島町)はユニットバスやトイレ、サッシなど住宅関連資材の販売も手掛けるようになった。
 4代目の平方宏社長(67)が重視してきたのは「顧客目線」。顧客が便利なものを提供することで取扱品目の幅が広がり、付加価値も高まる。業務の拡大に合わせ、「建物造りに関わる要望にワンストップで応える」企業へと成長した。

■県産ブランド

 2007年には住宅瑕疵(かし)担保責任保険の代理店になり、保険業をスタート。政府や自治体への各種申請の代行、建物の構造計算、地盤調査・改良など工務店向けの多様なサービスを提供している。

 住宅着工棟数の減少を見越して14年ごろには、中・大規模の非住宅木造建設分野へも本格的に進出した。プレカットの技術を生かし、幼稚園や体育館などに資材を提供。現在は建て方や木工事を請け負うようになり、仕事の範囲も広がっている。

 平方家は林業を営み、山と生きてきた。ルーツである地元の山林に貢献するため、県産優良木材をオリジナルブランド「エコG柱」として販売。曲がりにくく割れにくい木質や光沢のある木肌の良さをPRしている。

 工務店を中心とした安心安全な住まいづくりのネットワーク「群馬すてきな家づくりの会」を組織して県内の森林ツアーを企画し、県産材の魅力をアピール。「健康長寿は住まいから」を合言葉に「ぐんま健康・省エネ住宅推進協議会」の事務局を務め、高品質住宅の普及に努める。

■安定取引

 新型コロナウイルス禍からの経済回復が進む米国や中国で木材需要が高まった結果、輸入木材が高騰し「ウッドショック」と呼ばれる状況になっている。だからこそ、県木材組合連合会長を務める平方社長は、国産木材が安定した価格で取引できる環境になるよう政府や自治体に要望している。

 平方木材の歩んだ道は3代目の力(つとむ)がよく口にし、社訓となった三つの言葉と重なる。

 「信用を重んじ、仕事に責任を持つ」からこそ、地元に根付いて商売を続けられた。「お客様の立場に立ち、誠実を尽くす」からこそ、時代の流れとともに業態を変化させられた。「互いに敬愛し、信頼し、向上に務める」からこそ、社長が公職で忙しい中でも社員が一丸となって事業を発展できた。

 初代の嘉平の急逝や前橋空襲、流通の変化など数多くの困難があったが「木を活(い)かし、木に生きる」を心柱に据え、嫁や婿、社員ら関わる人が一丸となって乗り越えてきた。

 平方社長は創業100周年を迎えた2000年に、経営理念を「社員一人ひとりが幸せになる」と定めた。「社員が幸せに生活できてこそ、本来の力を発揮できる」と強調し、「その力を結集し、平方木材を業界をリードする企業に育てたい」と誓いを新たにした。

【取材後記】SDGsを実践

 平方木材の130年は深化の歴史だ。木を中心に顧客ニーズを捉え、時代の流れを読んだことが業態の深化につながり、歴史を紡いだ。

 その間、嫁や婿が活躍して社業を盛り立てるなど「外部」の人材が重要な役割を果たした。外の力が活躍したことも、変化の激しい時代を乗り越える原動力になってきたのだろう。

 注目を集める持続可能な開発目標(SDGs)について、平方社長は「商売を通じてずっと実践してきた」と強調する。ビジネスにも社会的な責任が求められる時代。「木を活かし」環境に貢献する商売は、さらなる発展の可能性を秘めている。

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