次は穏やかな時代に 新元号発表を前に 故小渕氏関係者が墓参
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墓参り後、小渕氏の銅像を訪れた千鶴子夫人ら関係者
新元号発表前日、小渕元首相の墓参りをする河東さん=中之条・林昌寺
小渕元首相の墓前で元号「平成」発表当時の思い出を語る千鶴子夫人=中之条町・林昌寺

 新元号発表を翌日に控えた31日、官房長官として「平成」を発表した故小渕恵三元首相の千鶴子夫人(78)や、小渕氏が発表時に掲げた文字を揮毫きごうした河東かとう純一さん(72)らが、小渕氏の墓がある群馬県の林昌寺(中之条町)を訪れ、平成の終わりと新時代の到来を報告した。

 小渕氏が「平成」の額縁を掲げてから30年。記者団に千鶴子夫人は「平成は災害が多くて残念だったが、良き時代だったと思う。次は皆さんが無事に過ごせる穏やかな時代になってほしい」と語った。墓参後、同町ツインプラザに立つ小渕氏の銅像と記念撮影した。

◎緊迫の改元 書は生乾き 「平成」揮毫の河東純一さん回顧

 当時の官房長官として元号「平成」を発表した故小渕恵三元首相の墓前に、懐かしい顔がそろった。くしくも新元号発表の前日となった31日、中之条町の林昌寺。千鶴子夫人(78)ら遺族と、小渕氏が掲げた平成の書を揮毫した総理府(現内閣府)の元辞令専門職で書家、河東純一さん(72)=埼玉県 川越市、官房長官当時に秘書官を務めた石附弘さん(73)だ。平成改元の舞台裏で小渕氏と共有した特別な緊迫感を振り返り、新時代に思いをはせた。

 初めて小渕氏の墓前を訪れた河東さん。姿勢を正して墓石を見つめ、しゃがみ込んだ後に静かに手を合わせた。「先生、うかがうのが遅くなって本当に申し訳ありません」。そう念じて、「平成」を発表した1989年1月7日の緊張感を思い起こした。

 発表会見の直前、揮毫のために入った会議室で鉛筆書きのメモを提示された。「平成」だった。目にした瞬間、直感的に思った。「文字の画数が少ない。書きづらい」

 もう一つの戸惑いは、三つの元号候補を伝えられると思っていたのに、示されたのが平成だけだったことだ。それぞれと、清書のためにと特殊な紙「奉書紙」4枚を用意していた。

 奉書紙に慣れるため、あらかじめ明治、大正、昭和の文字を書いて練習を重ねてきたが、平成はもちろん初めてだった。個人の書作品のように十枚も二十枚も書き直せるものではない。「きちんとしたものを書いてお渡しするという思いだけだった」。4枚ともしっかり平成と書き、最後の1枚を発表用に渡した。

 他の3枚はその場で二つに折ってしまったが、厚い紙なのですぐには乾かず、ぬれていた。官房長官だった小渕氏は、墨書したばかりの書が入った額を報道陣の前で掲げ、全国民に示した。あの時間はまだ、「平成」は生乾きだった。

 「展覧会場で自分の作品の前にじっと立ってはいられないように、自分の書を見るのは恥ずかしい」と会見場面を振り返る。書の出来栄えについては、「42歳の時の書。あれはあれで良い」と思っている。

 千鶴子夫人から誘われ、図らずも新元号発表の前日に墓前に足を運ぶことになった。平成は、「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」という中国の古典に由来し、平和を求める意味が込められている。

 平成の時代を振り返り、「戦争はなかったが、自然災害が多い30年だった。住みやすい、良い時代が来てほしい」。平和を願った宰相の思いを代弁するかのように、新時代の到来を待ち望んだ。

◎「重圧大変そう」 千鶴子夫人

 千鶴子夫人は「私自身は忙しくて自宅にあんまり帰れなかったけれど、記者さんが連日たくさんお見えになっていたようです」と記憶をたどった。当時の小渕氏については「いろんな事が重なっていたので大変そうだった」と重圧を背負っていた夫を思いやった。平成おじさんと呼ばれたことについては、「本人もうれしかったと思う」と笑顔で話した。

 ともに墓参りした長女の暁子さん(51)は「(新元号を知ろうと)たくさんの記者がやって来ていたが、私たち家族が聞きに行っても決して教えてくれなかった」と振り返った。改元が近づくにつれて、官房長官時代の映像や写真がたびたびメディアに登場し、「若い頃の父を何度も見て、そのたびに昔を思い出すことができた。感慨深い」と話した。

 この日は参加できなかった次女の小渕優子衆院議員は上毛新聞の取材に応じ、「平成の発表当時は父がすごくピリピリしながら働いていたことを覚えている」と説明。平成の2文字には、激動の昭和を経た平和への思いが込められているとし、「終わってしまう寂しさがないではないが、平和を大事にする思いを次の時代に引き継いでいきたい」と語った。

◎平成会見 舞台裏「万感胸に迫る」 当時秘書官の石附さん

 「30年前のあの日を思い返すと万感胸に迫る」。当時官房長官だった小渕氏の秘書官を務めた石附弘さんは改元当時、張り詰めた空気の官邸を駆け回った一人だ。

 発表前に、官房長官室では極秘にリハーサルが行われていた。昭和までの改元とは異なり、すでに映像の時代。国民に対し視覚的に新元号を伝えるため、意味や出典を解説するより前に「平成」の文字を掲げようと方針を打ち合わせた。

 小渕氏が、「平成おじさん」と親しまれるきっかけとなった平成の発表会見がいよいよ始まる段階で、緊張はピークに達した。歴史的な瞬間の重みを知っていただけに、「平成の文字を入れた額縁の天地が、もしも逆だったりしたら」などと考え、手に汗を握っていたという。

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