旧前橋中巣立つ朔太郎の集合写真見つかる 前橋の同級生の遺品から
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永島さんの自宅で見つかった写真。最後列の右から2人目が朔太郎。優蔵さんは後列2列目、左から2人目n
見つかった写真を手にする永島さんn

 前橋市出身の詩人、萩原朔太郎(1886~1942年)が旧制前橋中(現前橋高)の卒業時に撮影された集合写真が8日までに、市内で見つかった。06(明治39)年撮影のもので、前橋文学館によると、前橋中時代の写真は数少なく、当時の朔太郎を知る上で貴重な資料という。写真は近く、同館に寄贈される。11日の朔太郎の命日を前に注目されそうだ。

◎斜に構える姿に反骨精神が表れか
 一人だけ卒業証書のような紙を筒状に丸め、顎に当てている朔太郎=後列右から2人目。同館の萩原朔美館長は「卒業証書だとすれば、留年したことによる屈折した気持ちがあったのかもしれない」と推し量る。

 前橋市出身の詩人、萩原朔太郎の旧制前橋中(現前橋高)の卒業時に撮影された集合写真は、同市三俣町の医師、永島勇さん(85)方で見つかった。朔太郎の同級生で永島さんの父、故・優蔵さんの遺品として保管されていた。丸めた卒業証書のような紙を手に、斜に構えた印象を抱かせる肖像。関係者は「朔太郎の反骨精神が表れた貴重な資料」と評価している。

 「萩原朔太郎全集」(筑摩書房)によると、朔太郎は1900年、同校に入学。与謝野晶子の「みだれ髪」を読んで短歌に傾倒し、いとこの萩原栄次から作法を学んだ。02年に同校の級友らと同人誌を発行。翌年には文芸誌「明星」に投稿した短歌が掲載されている。

 写真は昨年、物置を整理していた永島さんが発見。同市の前橋文学館職員により朔太郎が写っていることが確認された。卒業生や教諭ら約100人が校舎の前に整列した集合写真で、優蔵さんの字で「前橋中学校 明治39年卒業生一同」と書かれている。後列の右端のほうに立つ朔太郎は、一人だけ卒業証書のような紙を筒状に丸め、自身の顎に押し当てている。

◎同級生の父からは「不良だった」
 永島さんによると優蔵さんは生前、朔太郎について「あいつは不良だった」と話したことがあるという。当時の朔太郎は学業に熱心とはいえず、04年に落第している。写真機やマンドリンを入手したのもこの頃だ。永島さんは「真面目な性格の父からしたら、決して印象は良くなかっただろう」と推し量る。

 同館の萩原朔美館長は「丸めた紙が卒業証書だとすれば、留年したことによる屈折した気持ちがあったのかもしれない」との見方を示し、「朔太郎の反骨精神のような雰囲気を感じさせる写真だ」と話している。

 写真は同館に寄贈後、館内での展示を検討する。担当者は「これまで集合写真が見つからなかったことが不思議だった。写真をきっかけに、同人誌などの資料も見つかるといい」と期待を寄せている。

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