《変わらぬ想い 日航機墜落事故34年》父子証明 膨大な時間
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昭久さんが最後にタクシーを拾った青山通りに立つスーザンさん=2日、東京都港区
事故翌年に長女のカサンドラさん(右)、次女ダイアナさん(左)と撮影した家族写真=1986年秋ごろ

 群馬県上野村で発生した日航ジャンボ機墜落事故から12日で34年を迎える。長い年月を経ても、犠牲になった人を悼み、空の安全を祈り、事故の風化防止を訴える関係者の気持ちは変わらない。事故に向き合って苦悩してきた遺族、そうした遺族に寄り添い続けてきた関係者に話を聞いた。

◎事故で最愛の人失った英国人女性
 「あの時、ここで彼を止めていればという思いは今も消えない。なぜあんな恐ろしいことが起きたのか」―。

 1985年の日航ジャンボ機墜落事故で、パートナーの日本人男性、湯川昭久さんを亡くした英国人のスーザン・ベイリー・湯川さん(61)=英ケント州。今月2日、昭久さんが羽田空港に向かうタクシーに乗り込んだ東京都港区の青山通りに立ち、思いを語った。

■戸籍記載に26年
 34年前の8月12日、仕事で急きょ決まった大阪行き。大手銀行の関連会社役員を務めていた昭久さんは、虫の知らせだったのか、珍しく出張をためらっていたという。新幹線が満席だったため、仕方なく空路で向かうことになった。

 昼食時に自宅に戻っていた昭久さんを、当時4歳だった長女と一緒に歩いて青山通りまで見送った。おなかには妊娠9カ月の次女がいた。

 「『明日にはまた会えるよ』と言って彼は出掛けていった。その『明日』が来ることを、心のどこかで今もまだ待ち続けている」

 2人は婚姻関係になかった。事故に翻弄ほんろうされ、つながりを証明するために、膨大な時間と手間が必要となった。DNA鑑定などにより、2000年に英国で昭久さんと娘2人の父子関係が確定。09年に同国の出生証明書に昭久さんの名前が加えられた。日本の戸籍への親子関係の記載が実現したのは11年。事故から26年が経過していた。

■新たな情報期待
 「事故から30年以上が過ぎ、新たな情報が明らかになるのではないか」。長い年月が経過し、これまで難しかった事故調査資料の公開や原因の再検証に期待を寄せる。

 墜落直前の様子が収められたレコーダー類、運輸省航空事故調査委員会(当時)がマイクロフィルムに保存している事故調査資料の情報公開と合わせ、相模湾に沈んだままになっている機体の一部の引き上げと検証が必要だと考えている。

 単独の航空機事故としては世界最悪の520人が犠牲になった。「情報を共有し、教訓を後世に伝えることは国際社会においても重要。風化を防ぐことにもつながる」とする。

 12日に墜落現場の「御巣鷹山の尾根」(上野村)を訪れ、6度目の慰霊登山をする。4年ぶりの登山に娘たちは来られないが、「上野村のどこまでも美しい風景を見ると心が洗われる」という。

 尾根で、昭久さんに報告することが二つある。一つは昨年12月、英国の裁判所から「湯川」姓を名乗ることを正式に認められたこと。もう一つは、もうすぐ5人目の孫が生まれることだ。34年前と変わらない、優しい笑顔で喜んでくれるはず。そう信じている。

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