《変わらぬ想い 日航機墜落事故34年》遺族に寄り添うおにぎり
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「おにぎり、待ってたよって駆け寄ってくれるんさね」。遺族を思いながらおにぎりを作る坂上さん

 「何か食べるものありませんか」。やつれた表情の女性が頼ってきた。日航機墜落事故の発生後、何も食べていないようだった。

 当時、群馬県藤岡市内の地区の婦人会長で、遺族らの身の回りの世話に当たった坂上シゲヨさん(87)=同市岡之郷=は自宅から米と梅干しを持参し、かゆを作って振る舞った。「とにかくかわいそうで、何も言葉が出なかった」。遺族の近くで動き回った約50日間。その記憶は今も遺族を支える原動力になっている。

■ずぶぬれの服
 事故翌日の1985年8月13日、市から婦人会に声が掛かった。茶やおしぼり、氷を急いで準備し、地元の小学校で遺族を迎えた。厳しい残暑の中、「バスから降りてきた遺族の服は汗でびしゃびしゃだった」という。

 待機所となった藤岡神流小は3階まで全ての教室が関係者で埋まった。愛する家族の帰りを待つ人たちに、氷水で冷やしたタオルを渡すことしかできなかった。

 藤岡市民体育館での遺体の身元確認は10月まで続いた。家族の体の一部が見つかり泣き崩れる遺族、悲惨な現場の様子を吐露する自衛隊員、遺族に蹴飛ばされて頭を下げ続ける日航社員。悲しみにあふれていた。

 数年後、「あの時、世話になったのに礼も言えなくて申し訳ない」と遺族が会いに来た。この人たちの手助けをしたいと思い、婦人会OGや市民有志でボランティア団体「ふじおか・おすたかふれあいの会」を立ち上げた。1995年に始まった8月11日の灯籠流しには毎年参加している。

 灯籠流しに訪れる遺族らに手作りのおにぎり弁当を配るようになったのは20年以上前。もともと会のメンバーが自分たちの夕飯として作り始めたが、やがて遺族やスタッフの分も用意するようになった。多い年はメンバー全員で朝から準備し、300個以上を作った。「河原で食べると特別おいしいね」と頬張ってくれる。それがとにかくうれしかった。

■高齢化で減少
 遺族のために、との思いは変わらないが34年は長い。高齢化で灯籠流しに来られない遺族が増え、会のメンバーも減った。おにぎりを配りきれず、余るようになった。

 数を減らさないかと知人から提案されてはっとし、思わず目頭を押さえた。「遺族の方がひもじい思いしちゃ困るでしょ」。河原でおにぎりを食べる遺族の姿が脳裏に浮かんだ。少し時間を置いて考え直し、今年は例年の半分以下の40人分ほどにすることにした。

 自分自身も年齢を重ね、いつまで活動できるか分からない。ただ、遺族に寄り添い、笑顔を思い描きながらおにぎりを作る。そこに込めた思いはきっと届くはずだから。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事