悲しみ 癒えぬまま… 群馬県防災ヘリ「はるな」墜落 10日で1年
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墜落現場近くの横手山で献花する遺族ら
吾妻広域消防本部に設置された記帳台の前で黙とうする消防職員

 群馬県防災ヘリコプター「はるな」が中之条町の山中に墜落し、搭乗者9人全員が死亡した事故は10日で1年がたった。防災航空隊員らの将来が絶たれた事故の原因究明には時間を要し、遺族や同僚の悲しみは癒えぬままだ。遺族や関係者は同日、事故発生時刻に合わせて黙とうしたり、献花台に花を手向けたりして、亡くなった人たちの冥福を祈った。

 「はるな」は群馬、長野、新潟県境の稜線りょうせんを結ぶ登山道「ぐんま県境稜線トレイル」の全線開通を翌日に控え、山岳遭難に備えた危険箇所などの確認で飛行した。墜落時は視界不良の状態だったとみられ、国の運輸安全委員会や県警が事故原因を調べている。

 事故後、運航や安全管理を巡る問題や課題が浮上。県は有識者による検討委員会を立ち上げて従来の体制を見直し、再発防止策の検討を重ねた。1月に提出された検討委の報告書には、体制整備や安全運航に関する提言が盛り込まれた。

 提言を踏まえ、県は安全性能を高めた新機体の購入を決定。2020年12月末に納品され、21年の運航再開を見込む。防災航空体制の再構築に向けて本年度、防災航空センターを前橋市の群馬ヘリポート内に設置した。

◎「まだ信じられない」 遺族 中之条の現場近くで献花
 「まだ信じられない」―。県防災ヘリコプターが墜落し、9人が死亡した事故から10日で1年。中之条町の現場付近や犠牲者が所属していた消防本部などでは、遺族や同僚が悲しみを新たにした。無念や不満、癒えない傷―。さまざまな思いが交錯し、今も気持ちの整理はつかない。

 吾妻広域消防本部所属だった隊員の遺族らは10日、群馬、長野県境の横手山を訪れて慰霊の献花をした。事故現場から800メートルほど離れたその場所には献花台もない。蜂須賀雅也さん=当時(43)=の遺族は「火事になったら、雅也さんに怒られちゃうね」と火の付いていない線香を供え、静かに手を合わせた。兄の勝広さん(45)は「事故の日のことは、1年たっても忘れることがない」と無念さをにじませた。

 田村研さん=当時(47)=の母、久子さん(76)は「いなくなったとは信じられない。外に出ると事故を思い出してしまいつらい」と声を絞り出した。岡朗大さん=当時(38)=の母、恵美子さん(67)も「周りの人に支えられて1年が過ぎたが、まだ実感がない。時間が経つにつれて寂しさが大きくなる」と吐露する。

 県の対応への不満も漏れた。蜂須賀雅也さんの父、保夫さん(68)は「1年の節目なのに献花台もなく、とても残念」と肩を落とす。田村研さんの父で遺族会会長の富司さん(78)は「これで一区切りではない。登山道の整備や慰霊碑の設置をもっと早く進めてほしい」と話した。

 黒岩博さん=当時(42)=の父、武男さん(74)は、出荷が最盛期を迎える嬬恋村のキャベツ畑で作業に汗を流した後、墓前で手を合わせた。「多くの消防関係者がお墓に来てくれた。事故直後、つらい時間を過ごしたことが思い出される。まだ不可解な部分があるので、一日も早い解明を願っている」と話した。

◎仲間の遺志引き継ぐ…吾妻広域消防で黙とう
 吾妻広域消防本部(東吾妻町)には亡くなった6人の隊員が所属していた。事故発生時刻の午前10時1分に合わせ、山田圭一消防長ら9人が建物内の記帳台の前に整列し、沈痛な面持ちで黙とうした。

 同本部は組織の立て直しを迫られた1年だった。県防災航空隊などへの派遣を見直し、予定より多い4人を新規採用した。山田消防長は「6人の知識や技量を補うには、1年ではとうてい難しい。彼らの遺志を引き継いで人を育て、職員一丸となって再構築を図らなければ」と話した。

 多野藤岡広域消防本部(藤岡市)では、署員が現場となった中之条町の方角を向いて黙とうした。同本部に設置された献花台には所属した隊員の写真などが並び、多くの人たちが訪れた。同本部OBの男性2人は「貴重な人材を失ってしまった」「懸命に職務に従事していた人がこんなことになるとは」と手を合わせた。

 県防災航空隊基地がある前橋市の群馬ヘリポートでも、全隊員と職員計10人が黙とうをささげた。事故を受けて開設された県防災航空センターの糸井秀幸所長は「二度とこのような事故を起こすことがないよう安全を最優先に、防災ヘリの再運航に向けて尽力していきたい」と語った。

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