東國敬神道場建設計画 知事が伝える 「中央集権的事業」示す
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発見された文書の一部

 若者の精神修養を目指した「東國敬神道場」(現富岡市社会教育館)が1936年に貫前神社の一角に建てられる前、当時の知事が同神社関係者に建設計画を伝えた文書が見つかった。精神修養の重要さや建設に理解を求める内容。研究する育英短大の佐藤喜久一郎講師(44)=日本民俗学=は「事業が中央集権的に推し進められたことを示す史料」と評価する。

 宛先は、明治維新で職を離れたかつての同神社「大宮司」の子孫。
 佐藤さんによると、大宮司は古くから甘楽郡一帯を治めていたとされる小幡氏の末裔まつえい。維新で各地の有名社寺の世襲制が廃されたことに伴い、大宮司も1871年ごろに職を解かれた。その後も小幡家の墓は神社に残され、明治時代末くらいまで、地権などを巡り国や県と争ったとされる。

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