「袖石垣」明治のままの姿 確認 吉岡の「デ・レイケ堰堤」試掘
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 明治初期に築かれた巨石砂防堰堤えんてい「デ・レイケ堰堤」の保全に取り組む群馬県の住民グループ「榛名山麓のデ・レイケ堰堤を見守る会」は18、19の両日、吉岡町上野田の「自害沢9号堰堤」周辺を試掘した=写真。会員らは堰堤下流側の土砂を取り除き、明治時代の資料に記載されていた「そで石垣」が現存していることや、堰堤の高さが少なくとも2メートル以上あることを確認した。

 試掘は町の協力を得て実施。重機を使って土砂を取り除いたほか、堰堤を形作る巨石の隙間の土砂をかき出す作業などに取り組んだ。その結果、右岸の袖石垣がほぼ建設時の状態のまま残っていることを確認。石垣の長さは約2.3メートル、高さは約1.7メートルだった。左岸側では人工的に並べたように見える複数の巨石を発見。同会は「左岸側は上部が崩壊し、下部の石だけが埋もれていたのではないか」と推測している。

 大林和彦代表は「両側の袖石垣の位置や堰堤の高さなどが分かり、図面に記載されていた通り、堰堤はコの字形だったことを確認できた。皆さんと協力しながら残していきたい」と話した。

 デ・レイケ堰堤は、明治政府が招聘しょうへいしたオランダ人技師、ヨハネス・デ・レイケ(1842~1913年)が築造に深く関わった砂防堰堤の通称。群馬県では自害沢川、滝の沢川、八幡川、唐沢、榛名白川の5河川に計120基築造された。県内には28基が現存するとされるが、「自害沢9号堰堤」の正確な位置は30年以上分からなくなっていた。今年、地元住民らの情報を基に同会会員らが存在を確認するとともに、周辺の清掃などに取り組んだ。20日は写真撮影や測量を行う。

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