大聖護国寺の不動明王 綱吉の母、桂昌院の寄進と判明
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修復を終え、公開される本尊不動明王と三十六童子の一部
不動明王の内部にあった墨書

 群馬県高崎市八幡町の大聖護国寺(だいしょうごこくじ)の本尊不動明王を含む「五大明王(ごだいみょうおう)」が、5代将軍徳川綱吉の母、桂昌院(けいしょういん)が寄進したとみられることが明らかになった。これまで記録がなく由来は不明だったが、修復の際、仏像内部の空洞に、桂昌院が寄進したことを示す墨書が見つかった。修復済みの本尊と、桂昌院が寄進したと伝わる「三十六童子(どうじ)」の一部が12月1~6日、同寺で公開される。飯塚秀誉(しゅうよ)住職(53)は「地域の人に歴史を知ってもらう機会にしたい」と話している。

◎修復時、内部に墨書発見

 桂昌院寄進とされるのは本尊不動明王(総高約2・2メートル)と金剛夜叉こんごうやしゃ明王、大威徳だいいとく軍荼利明王、降三世ごうざんぜ明王の計5体。本堂改築に合わせて修復するため、富山・井波の仏師、関侊雲(こううん)さん(前橋市出身)に託したところ、それぞれ内部に「館林宰相綱吉同御母儀桂昌院」「上州八幡村大聖護国寺本願亮賢」などの墨書が見つかった。大威徳明王の内部には、桂昌院の侍女らが願いを込めて書いたとみられる胎内文書の願文がほぼ当時のまま残されていた。

 墨書にある「亮賢」は同寺の24代住職の名前。桂昌院が綱吉を身ごもった際、安産祈願をしたという。桂昌院の信頼は厚く、東京の護国寺を開山する際、初代住職に迎えている。

 不動明王の従者である三十六童子(高さ約60センチ)は、桂昌院が綱吉と館林藩江戸屋敷に住んでいた1674(延宝2)年に寄進したと伝えられている。亮賢が住職を務めていた時期と重なる。傷みの激しいものが多く、3年前に修復に着手。飯塚住職によると、江戸期に彫られた三十六童子は珍しいという。

 本堂の改築や客殿の新築、境内整備を終えたため、修復の済んだ本尊と三十六童子のうち9体を公開することにした。期間中は修復過程も紹介する。午前10時~午後4時(最終日は3時)。入場無料。

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