渋川の元旅館「藤屋」が解体へ 保存目指すも老朽化激しく断念
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解体直前の藤屋=12月20日
1980年代の藤屋(茂木さん提供)

 明治初期に建築された群馬県渋川市赤城町棚下の元旅館「藤屋」の解体作業が始まった。交通の要衝として栄えた歴史を伝える建物だとして、所有者の次男で大学生の茂木義弘さん(21)が保存を訴えて活動していたが、老朽化がひどく、危険なため解体を決断した。茂木さんは「残念だが、いずれ復元することを考えたい」と話している。

◎「いずれ復元を」 一部は資料館に展示
 棚下地区には明治初期、高崎と長岡を結ぶ「清水越新道」が開かれ、旅館や運送業者が相次いで開業した。藤屋はこうした旅館の一つで、残っていた宿札から、皇族の北白川宮能久よしひさ親王や西郷隆盛の弟で政府高官だった西郷従道つぐみちらが休憩したことが分かっている。

 茂木さんの祖母が亡くなり、この10年ほどは誰も住んでおらず荒廃が進んだため、一度は2018年2月に解体することが決まった。地域の歴史を語る建物が消えることに危機感を抱いた茂木さんは漆喰しっくい看板だけでも残せないかと活動を開始。看板は寄贈の申し出を受けた渋川市教委が赤城歴史資料館で保管展示することになった。

 建物を残す活動を支援しようと、昨年夏には大学教授らが建物の調査に入った。ただ、傷みがひどく、保存は困難なことが明らかに。家族は「雪が積もって崩れると危ない」と取り壊しを決め、23日に解体作業が始まった。将来の復元を視野に、柱や瓦といった資材を保存、記録するという。

 保存に向け、地元の歴史を調べ、日本建築学会のコンペに応募した茂木さんは「貴重な経験になった」と振り返る。大学卒業後は棚下地区に戻る予定で、「高齢化が進む地域を元気にする活動をしたい」と話している。

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