阪神大震災から25年 教訓生かせ 悲劇 県内でも伝え続ける
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倒壊した建物を捜索する前橋、高崎、桐生各消防本部の隊員ら=1995年1月23日、神戸市灘区桜口町(吉井さん提供)

 17日で発生から25年を迎える阪神大震災。犠牲者は6000人を超え、多くの家屋や建造物が倒壊した未曽有の大災害は、その後の防災の在り方に大きな影響を及ぼした。自ら被災したり、発生直後に救助活動に当たったりした人たちは四半世紀を経た今、犠牲者への鎮魂の思いを新たにしている。

 震災時、大阪市内に単身赴任していた川口和清さん(66)=高崎市=は就寝中に激しい揺れに襲われた。家財道具が散乱し、落下したテレビの画面が砕けていた。「直撃していたら死んでいた」。通信や交通機関がまひする中、最悪の事態に備えて家族宛てに遺書を書いた。幸い自宅マンションは倒壊を免れ、同日中に同僚に連れ出してもらったという。

 震災後は、群馬県を含む全国から消防や自衛隊などが救助に駆け付けた。

 高崎東消防署(現高崎市等広域消防局)の救助隊の一員として現地に派遣された吉井守さん(53)=同市=は、神戸市灘区桜口で倒壊したビルに取り残された被災者の救助に当たった。3日間、無我夢中でがれきなどを取り除いたが、「生存者を見つけることはできなかった」と今なお残るむなしさを打ち明ける。

 経験のないほどの大規模な災害現場。インフラが遮断され、正確な情報を素早く把握することの難しさも痛感した。

 震災から25年となる中、被災地で活動した現役の同局隊員は吉井さんだけになった。当時の記憶をとどめるため活動の記録をアルバムにまとめた。写真や資料は、被災地の凄惨せいさんな様子や過酷な救助活動を克明に物語る。後輩たちに当時の状況とともに、出動時の心掛けについては「『必ず生きて帰ること、全力を尽くして助けること』を伝えていきたい」と力を込める。

 当時、陸上自衛隊相馬原駐屯地に勤務する自衛官だった上村正則さん(48)=藤岡市=は、被災地で給水作業などに取り組んだ。給水に対して何度もお礼の言葉を繰り返す被災者の姿が今も忘れられないという。

 家屋が倒壊し、最愛の家族や住む場所を失った人たち。多くが悲惨な現実を受け入れられずにいたようだった。崩壊した建物の前で涙を流す被災者の姿を、毎日のように目にした。「少しも前に進まない。まるで時が止まったかのような感覚だった」と振り返る。

 現在は藤岡市で自動車解体業を営む。2011年に起きた東日本大震災でも群馬県の被害は限定的だったが、「事前に最大限の対策をするべきだ」と災害への備えの重要性を指摘する。被災地で人々が手を取り合う姿を見てきた経験から、「ボランティアが迅速に物資を運べるようにするなど、人の善意を形にできる仕組みをつくってほしい」と願っている。

◎震災契機に制度化 防災士
 阪神大震災を契機に、民間の防災力を高めようと制度化された民間資格「防災士」。県内では2019年末時点で少なくとも1755人が登録している。認証者の技能や知識を生かした地域防災力の向上などが課題となっている。

 日本防災士会県支部の尾山嘉治さんは「近年は地震に加え、台風など水害への備えも重要になっている」と指摘。局地的な被害が増加傾向にあることなどから、「防災対策も変わってきている。変化や考え方を講座などを通して伝えたい」と話している。

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