《県防災ヘリ墜落事故2年》遺族「なぜ悪天候で飛行」 報告書に疑問や不満
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吾妻広域消防本部に完成した慰霊碑を前に、思いをはせる田村富司さん

 県防災ヘリコプター「はるな」が中之条町の山中に墜落し、搭乗していた9人全員が死亡した事故から10日で2年となる。遺族や消防関係者、運航再開に向けた県防災航空隊のそれぞれの思いを追った。

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◎今も続く悲しみ 慰霊碑設置巡り県との調整難航も
 「はるな」の後継機の導入が進められるなど、防災航空体制の再構築に向けた動きが着々と進む。一方、多くの遺族は癒えない深い悲しみを抱えたままだ。遺族の心のよりどころとなる慰霊碑の設置場所を巡って、県と遺族側の調整が難航した。7月に入ってようやく、墜落現場近くを望む遺族の意向を受け入れる形で、県消防学校(前橋市)と渋峠(中之条町、長野県境)の2カ所での設置が決まったが、建立時期はまだ示されていない。

 「おかあに見せてあげたかった」。ヘリ事故で亡くなった吾妻広域消防本部の田村研さん=当時(47)=の父、富司さん(79)は、同本部が職員6人の冥福を祈るために敷地内に設置した慰霊碑の前でつぶやいた。7月中旬の除幕式に多くの遺族が参列したが、富司さんの妻、久子さん(77)は病気療養中のため参列できず、実物をまだ見ていない。

 富司さんは遺族会の会長として、墜落現場につながる登山道の早期整備と、現場近くでの慰霊碑の建立を要望し続けてきた。「誰のための慰霊碑なのか。県は遺族の思いに寄り添ってくれているのか」と県への不満を口にする。

 ヘリには県が運航委託していた東邦航空(東京都)の機長らを含む県防災航空隊員と、吾妻広域消防本部の職員が搭乗。「ぐんま県境稜線りょうせんトレイル」の全線開通を前に危険箇所の確認などのために飛び立ち、9人全員が帰らぬ人となった。

 国の運輸安全委員会は今年2月、調査報告書を公表した。機長が悪天候によって視界を遮られ、機体の姿勢を錯覚する「空間識失調」に陥ったのが原因と結論付けたが、その内容は遺族が望んだものではなかった。息子を亡くした父親は「なぜ強行スケジュールでの飛行に至ったのか。なぜ悪天候で飛ばざるを得なかったのか。引き返す判断ができていれば、事故は起きなかったはずだ」といまだに疑問を拭えない。

 原因究明を巡り、現在も県警などが業務上過失致死容疑を視野に捜査を継続している。別の遺族は「息子が殺された責任は誰にあるのか。はっきりと示してもらわなければ、ずっと納得できないままだ」とやり場のない怒りをくすぶらせる。

 ある遺族は言う。「息子を返してくれればほかには何もいらない」。無念や不満、悲しみ…。遺族たちはさまざまな思いを胸に、事故後2度目の夏を迎える。

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