伊勢崎空襲の遺構 れんが塀を移設保存へ 市が要望受け年度内に
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
今も残るれんが塀。黒く焦げたような部分が伊勢崎空襲の痕跡とされる=伊勢崎市大手町

 1945年8月14日深夜から15日未明にかけての群馬県の伊勢崎空襲で、爆撃の痕跡が残る伊勢崎市大手町のれんが塀について、市は本年度、一部を同市曲輪町の市有地に移設し保存する事業を進めている。2016年4月に、「伊勢崎空襲を語り継ぐ会」(佐藤好彦会長)が区画整理事業に伴う取り壊しの可能性を懸念し、保存の必要性を訴える要望書を市に提出。市は戦争の悲惨さを後世に伝える遺構として残すことにし、同会会員らの思いに応えた。

 戦時中、航空機部品の製造拠点があり、米軍の標的となった同市。終戦間際の8月14日深夜から15日未明にかけ、米軍のB29爆撃機が飛来し、200人以上の死傷者が出た。塀がある伊勢崎駅南側の市街地も広範囲が焼失。同会によると、塀に残る黒く焦げたような部分が空襲の高熱にさらされた痕跡という。

 塀は、同市の織物産業の一翼を担った絹糸買継商の倉庫兼作業場の一部だったと考えられている。戦後は新たに建てられた織物工場の女性工員の寄宿舎や故・設楽健さんが営んだ「旧設楽外科医院」の塀として使われた。医院がなくなった今も塀は同じ場所に残されている。

 同会は、医院の関係者や市内の戦争体験者らから集めた情報を基に、塀の価値を伝える要望書を作成。地元の小学校で定期的に開く「戦争事跡見学授業」で塀を見学し、「平和な世界にしたい」と書いた児童の感想文なども盛り込んだ。

 予算面で難航したというが、市との協議を重ね、移設場所は区画整理事業により公園が造成される曲輪町三区公民館の東側の市有地に絞られた。市は構造や移設に伴う安全を確認後、年度内をめどに黒い焦げ跡を中心にした壁の一部(幅約2メートル、高さ約1.2メートル)をモニュメントとして保存する計画だ。

 佐藤会長は「目に触れやすい場所に置かれ続けることで、多くの人が戦争の恐ろしさを知り、平和を願うきっかけになる」と期待している。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事