《戦後75年 つなぐ記憶》満蒙開拓加わった前橋の男性 現地再訪
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
満州での体験を話す小池さん(中央)。春雄さんと豪樹さんが静かに耳を傾けた

 かつて多くの日本人が暮らした集落には新しい家が建ち並び、記憶の中の風景と様変わりしていた。日本からの開拓団が移り住んだ満州国。その領域に当たる現在の中国・吉林省を昨年6月、戦後初めて訪れた小池安好さん(94)=前橋市東金丸町=は過ぎ去った歳月の長さと、日中の人々に深い傷を負わせた歴史に思いをはせた。

■ソ連軍と戦闘
 木瀬村(現前橋市)で7人きょうだいの次男として生まれた。村出身者が多く参加した駅馬開拓団に加わり、戦時中の1942年、17歳で満州へ渡った。両親ら家族総出でトウモロコシやダイズ、コメを作り、青年学校では軍事教練を受ける日々だった。

 原野が広がり、冬は氷点下30度を下回る厳しい環境。それでも国民学校や診療所が整備され、「開拓の成果を感じていた」

 19歳で召集令状が届き出征。現在の中国・黒竜江省で45年8月の敗戦を迎えたが、直後に進攻してきたソ連の部隊と銃撃戦になった。「傍らで頭を撃たれたり、自爆攻撃を仕掛ける兵士もいた」。凄惨せいさんな光景は鮮明に焼き付いている。3日間の戦闘後、部隊は武装解除され、ソ連に送られた。抑留は4年におよび、栄養失調で多くの仲間が命を落とした。

■研究会に参加
 日本へ帰国後、赤城南麓で農業を営んだ小池さん。5年ほど前から群馬満蒙まんもう開拓歴史研究会の活動に参加するようになった。同会は開拓の体験者や家族らが前橋市で月1回、学習会を開き、当時の暮らしや引き揚げの苦難について学び、語り継いでいる。

 2014年に同会を立ち上げた代表の東宮春生さん(67)=みどり市大間々町=は「満州で多くの人々が犠牲となった歴史の上に、今の平和がある。次の世代に語り継いでいかなくてはいけない」と話す。

 昨年6月に実現した同会メンバーによる中国訪問では、小池さんのほか、次男の春雄さん(67)、孫の豪樹さん(21)も参加。親子3世代で、父祖らの歴史をたどる機会になった。中国の展示施設も見学した豪樹さんは「現地に行ったからこそ中国側から見た歴史も分かった」と振り返った。

 10代の一時期を過ごした満州国について、小池さんは今も複雑な思いを抱く。多民族国家として「五族協和」を掲げた一方、現地の住民と日本人の居住区域が分けられるなど厳然と差別があったからだ。「自分中心、自国中心ではいけない。次の世代にも歴史を忘れず、互いを認め合う社会を築いてほしい」と願っている。

◎前橋・大胡で小池さん語る 22日午後1時半から
 群馬満蒙開拓歴史研究会は22日午後1時半から、前橋市大胡公民館で講演会を開く。小池さんが満州での暮らしや、シベリア抑留の体験を語る。定員30人。資料代500円。

 満州国 1932年、日本が中国東北部に建てた傀儡かいらい国家。45年の日本の敗戦とともに崩壊した。開拓団は国策として送られ、群馬からは約8700人が移住。敗戦の混乱や食料不足などにより約1700人が亡くなったとされる。残留孤児として中国に残された人も多くいた。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事