文明が詠んだ店は高見沢靴店 土屋文明記念文学館の調査研究
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靴屋再訪前年の1940年、玉村八幡宮で記念撮影する文明(県立土屋文明記念文学館提供)

 群馬県高崎市出身で近代日本を代表する歌人、土屋文明(1890~1990年)が高崎中学(現高崎高)に入学した当時を思い起こして詠んだ靴屋が、現在の「cafeあすなろ」(同市鞘町)の場所にあった高見沢靴店だったことが分かった。文明の生誕130年に合わせたプロジェクトで、県立土屋文明記念文学館が調査研究を進めているのを上毛新聞が報じたところ、関係者から情報が寄せられ特定に至った。

 〈一生ひとよの喜びに中学に入りし日よ其の時の靴屋あり吾は立ち止る〉

 文明は1904(明治37)年に高崎中学入学。この時に靴を買った店を振り返る歌は41(昭和16)年6月、観音山の慈眼院で開かれた県アララギ歌会に参加した際、詠んでいる。当時50歳だった。

 生誕130周年を機に同館が調査を進める中で、文明が詠んだ靴屋は観音山から柳川町に向かう途中にあったことが判明。鞘町の「高見沢靴店」と「渋谷靴店」の2店に絞られたことを8月下旬、上毛新聞が報じた。この時点で、文明が再訪した41年当時の営業記録がなく、どちらの靴店かは不明だった。

 記事をきっかけに複数の情報が寄せられたほか、同館職員が鞘町通りを実地調査した。このうち、高見沢靴店の子孫からの情報で、同店は45年8月14日の高崎空襲で全焼したが、58年に廃業するまで鞘町にあったことが分かったという。

 「大日本商工録」や「鞘町史」などによると、戦前、高見沢靴店はあすなろの場所にあり、6軒隣が渋谷靴店だった。実地調査で、80代の地元住民から「物心ついたころ、靴屋は1軒だった」との証言も得られたため、文明が再訪した当時あったのは高見沢靴店だと結論付けた。

 「あすなろ」は群馬交響楽団の草創期を描いた「ここに泉あり」に感動した故・崔華國さん(後に詩のH氏賞受賞)が57年に開業したことで知られる。同市本町から65年に鞘町へ移転し、82年に閉店するまで文化芸術の拠点として親しまれた。2013年に「cafeあすなろ」として再整備され、高崎経済大の学生らが運営している。

 生誕130年記念展に合わせ、同館は12月20日までプロジェクトに関する展示を行っている。靴の歌の初出の「アララギ」や70歳の文明が高崎中学を詠んだ「ポプラのある学校」の歌稿などを紹介している。

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