《集住地の陰で 北関東とベトナム人》(4)共生 歩み寄り互いに模索 生活習慣や文化の違い
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談笑する武井さん(右)と鎌上さん。共生への努力を長年続けてきた=今月、伊勢崎市

 ベトナム語の値札が付いた商品が並ぶ店先に、売り物と思われる冷凍肉が運ばれてきた。11月中旬、伊勢崎市南部の羽黒町の県道沿いにある小さな店。「日本語、分からない」。店員のベトナム人女性は取材を断った。近くの複数の日本人によると、1年以上前に経営者が変わり、交流は疎遠になっているという。

 「群馬、(物価などが)安いし、住みやすい。仲間もたくさん」と、多くのベトナム人が評する群馬県。全体数が急増するずっと前から、彼らが身近にいる市民は何を感じてきたのか。

 「やっぱり、言葉さね。言葉が通じないのは大きいよ」。羽黒町にある「羽黒団地」に住んで40年以上の小泉洋子さん(82)は、経験を踏まえて語る。

 羽黒団地にベトナム人が初めて暮らすようになったのは1980年前後だったとされる。前橋市の「あかつきの村」で定住支援を受けた難民が、近隣の各地にコミュニティーをつくるようになり、羽黒団地はその代表的な場所になった。

 けんかに騒音、花火。日本人側は当初、生活習慣や文化の違いに折々で戸惑った。「床下でニワトリを飼う人もいた」と小泉さん。「注意したら素直に聞いてくれたけどね。彼らもかわいそうなんだよ。お金だって十分じゃなかっただろうし、帰りたいと思っても国に帰れないんだから」

 犯罪への関与を疑われる人が住んでいたとみられた時期も。周辺住民の一人は「新潟とか神奈川の県警から防犯カメラの設置を頼まれた。後で『捕まえた』って連絡が来た。もう随分前だけどさ」と振り返る。

 時がたち、環境は変わってきているようだ。

 「昔に比べればうんと良くなった。この間も国勢調査で回ったんだけど、愛想が良くてね」。地元区長の武井一雄さん(72)はそう話す。区では夏祭りにベトナム人を招くなどして歩み寄る努力をしてきた。

 「子や孫が学校に通い、日本の言葉や文化が分かるようになったことが大きいと思うよ」と、区長代理の鎌上淳子さん(78)は相づちを打つ。最近は外国人の子に「ママー」となつかれる時もあるという。

 それでもゴミ出しのルールを守らない人がいたり、ある棟に外国人が固まって入居することで特定の日本人ばかりが組長を長く務めたりと、課題は残る。地元からの要請を受け、市は12月上旬から、外国人向けのゴミ出しのオリエンテーションを初めて開く。

 羽黒団地の県営住宅6棟には現在、119世帯が入居している。日本人は73世帯で、ベトナム人25世帯、ペルー人8世帯、ブラジル人7世帯が住む。フィリピン人やボリビア人、イラン人もいる。国籍別の割合は時代ごとに変化しており、住民たちは共生の道を模索し続けている。

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