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1998年1月に群馬県の旧群馬町三ツ寺(現高崎市)で一家3人が殺害された事件は14日、発生から23年を迎える。事件で両親と祖母を亡くした女性(43)が13日、上毛新聞の直接取材に初めて応じた。殺人容疑で指名手配されている小暮洋史容疑者(51)の行方は依然としてつかめず、容疑者が使っていた黒い乗用車は現在も見つかっていない。女性は「このまま未解決で終わってしまうのではないかと思うと不安。一日も早い犯人の逮捕を願っている」と声を絞り出した。
◎「このまま未解決ではと不安」
23年前の1月14日。穏やかな生活は一瞬で崩れ去った。女性が午後9時ごろに帰宅すると、いるはずのない小暮容疑者から暴行されそうになった。大声で叫んだものの、家族の声がしない。「家族はどこ?」。そう尋ねると、小暮容疑者は「薬で眠らせている」と言った。嫌な予感がした。
女性は当時20歳。父の石井武夫さん(48)、母の千津子さん(48)、祖母のトメさん(85)の4人暮らしだった。問い詰めると、小暮容疑者は「大変なことをした」と落ち着きがない。警察に行くよう勧めたが、容疑者は逃走。女性の110番通報で、浴室や押し入れから3人の遺体が発見された。当日は千津子さんの誕生日でもあった。
小暮容疑者は、女性が勤めていたドラッグストアに出入りする運送業者だった。一方的に好意を募らせ、何度も食事や遊びに誘った。女性の車に「話がしたい」と手紙をはさんだり、自宅にたびたび電話してきたりした。女性は周囲に相談していた。
女性は事件直後、高崎署で小暮容疑者の不審な挙動を伝えた。使っていた車も判明したことから「すぐに見つかると思っていた」。車は直後に栃木県佐野市、水戸市、太田市、埼玉県妻沼町(現熊谷市)などで目撃されたが、その後ぱったりと足取りが途絶えた。
23年間で群馬県警に寄せられた情報は2620件(昨年12月末時点)。しかし、有力な手掛かりはない。女性は「容疑者も、関係するものも出てこない状態が20年以上続いている」と唇をかむ。
女性は事件後、容疑者を思い出しては震え、眠れない日々が続いた。一人だけ生き残ったことに罪悪感を抱き、一時は死ぬことも考えた。「あの事件がなかったら。いつもそう考えてきた」。それでも、時間が少しずつ気持ちに変化をもたらした。風化を防ぐため、事件のことを伝えたいと今では思えるようになった。
だが心の傷は癒えたわけではなく、全てを奪われたという感覚は変わらない。女性の願いは一つだ。「生きていれば早く捕まってほしい。死んでいるならその証拠が欲しい」
小暮容疑者の逃走車は、黒色の日産シルビア「群馬33も8670」。情報提供は捜査本部(フリーダイヤル0120.547.590)へ。
◎「長い年月過ぎ残念」当時の高崎署長
事件発生当時の高崎署長で元刑事部長の木村貞光さん(79)=前橋市=は、
木村さんは1997年3月~99年3月に署長を務め、事件発生直後に現場へ駆け付けた。家の中には血だまりがあり、3人の遺体があった。女性の証言などからすぐに小暮容疑者が浮上し、全国に指名手配した。
だが捜査は難航した。木村さんは「金もなくなり、容疑者は相当行き詰まっていたはず。車ごと逃げるのは容易ではない。どこに行ってしまったのか…」と肩を落とした。